「大東亜戦争」カテゴリーアーカイブ

書評 高橋史朗著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』

 大東亜戦争終結後、わが国が二度と立ち上がれないようにするためにアメリカが行った占領政策ほど徹底したものはない。今日に至る日本人の精神的荒廃も、この占領政策に源を発している。

 占領政策によって、日本は自分の目を失い、占領軍によって与えられた目で物事を見、判断するようになってしまったのである。それを著者は「義眼をはめ込まれた」と表現する。

 占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(日本人に戦争犯罪の意識を刷り込む情報宣伝計画)の一環として、徹底した検閲を行った。事前検閲だけではなく事後検閲があった。

 事後検閲とは、出版物などを発行した後で占領軍からクレームがつけられることだ。事後検閲を受けると、印刷した新聞も雑誌も、即座に反故にしなければならない。そうならないように、占領軍からクレームがつけられそうな内容・表現をあらかじめ修正するようになる。これが「自己検閲」だ。 続きを読む 書評 高橋史朗著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』

東京裁判史観は在野の興亜論者の行為も否定した

 平成25年末の安倍首相の靖国参拝以来、東京裁判批判を許さないというアメリカの意志が明確になってきた。もはや、戦後レジームからの脱却を目指すためには、アメリカとの思想闘争は避けられなくなった。
 以下、『アジア英雄伝』の「はじめに」の関係箇所を引用する。

〈占領期のアメリカによる日本の言論統制の目的は、戦前の日本の行為を全て悪、連合国の行為を全て善とする、一方的な考え方を日本に浸透させることにあったのではなかろうか。日本政府の行為も、在野の興亜論者の行為も、アメリカに不都合なものは、悪とされたのである。
 この占領期に行われた言論統制は、徹底したものであった。昭和二〇(一九四五)年九月一〇日、GHQは「新聞報道取締方針」を出した。さらに、GHQは同年九月一九日に「プレス・コード(新聞規約)」を発令、一〇項目の禁止事項を明示して言論統制を強化しようとした。プレス・コードは一九四六年一月二四日付で、一般の出版物だけでなく、国会を含む官庁の出版物にも準用されている。 続きを読む 東京裁判史観は在野の興亜論者の行為も否定した

大東亜共同宣言第五項と佐藤賢了

 大亜細亜協会で活躍した中谷武世は、昭和50年に刊行した『戦時議会史』(民族と政治社)の中で、「『大東亜会議』とその意義」に一章を割き、同会議の経過と歴史的意義について言及している。
そこには、大東亜共同宣言の起草者の一人である佐藤賢了(陸軍省軍務局長)の次のような回想が引かれている。
「大東亜共同宣言について、私がとくに述べたいことは、綱領の最後の項にある人種的差別観の撤廃である。初め草案を作成中、幹事補佐の間には、この項を挿入することに反対意見が強かった。その主旨は、第一次世界大戦後のパリ講和会議に、日本が人種的差別観の撤廃を持ち出して入れられなかったし、またこんどの戦争をどうかすると人種戦と化し、争いを深刻化することを恐れたからである。しかし私は、第一次世界大戦当時からの日本の主張は堂々と高唱すべきで、現に日本が大東亜各地で実行しつつあり、それが民心をつかんでいる大きな理由であると思っていた。人種差別の撤廃は理想でなく現実だ。これを高揚しない理由はないと考えた。連絡会議で重光外相が喜んで同意し、ほかにも異存がなかったので挿入された。戦後の今日、大東亜各地に親日感が残っている理由の大いなる一つは、この人種差別観の撤廃であると思う。これは米・英人など西欧人には容易にできない相談であると思う。米国のリトルロックにおけるあの烈しく、執拗な人種差別の争いがその好例であろう」

書評─『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(『月刊日本』平成25年3月号)

  戦勝国の論理でわが国を断罪した極東国際軍事裁判(東京裁判)の最終判決に対しては、インド代表のパール判事だけではなく、フランス代表のアンリ・ベルナール判事が異議を唱えていた。ところが、これまでベルナールの主張は注目されてこなかった。この忘れられたフランス判事の実像に迫ったのが本書である。
東京裁判において、多数派判事たちは、わが国が満州での権益とそれを守る権利を持つことまでは認めながらも、わが国の行動は明らかにそれを逸脱していたと主張した。これに対してベルナールは、日本が条約で手に入れた満州の地を自らの「生命線」とみなしていたのは何ら不法なことでもなく、既得権を脅かされた日本軍がその防衛のためにしばしば起こした騒動のいくつかは当然の権利として起訴されるに値しないと擁護したのである(168頁)。
さらに注目すべきは、東京裁判には正当で公正な判断を下すために必要な信用できる証拠が圧倒的に足りず、その採用の仕方にも偏りがあると、ベルナールが考えていたことである。 続きを読む 書評─『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(『月刊日本』平成25年3月号)

大東亜戦争の目的

 大東亜戦争の目的は「自存自衞」にあり、アジア解放という目的は後から付け加えられたとの見解が見受けられますが、開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)には、「自存自衞ノ爲蹶然起ツテ」と謳われる前に、「東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ」とあります。
また、詔勅の翌日に出された「帝国政府声明」には、「米英ノ暴政ヲ排除シテ東亜ヲ明朗本然ノ姿ニ復シ」という表現を用いて、開戦に伴うわが国の軍事的な行動がアジア解放を目指したものであることが強調されています。

排日移民法関連文献

関連書籍類

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
チャオ埴原三鈴、中馬清福 「排日移民法」と闘った外交官 〔1920年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直〕 藤原書店 2011年12月
簑原俊洋 排日移民法と日米関係 : 「埴原書簡」の真相とその「重大なる結果」 岩波書店 2002年
三輪公忠編著 日米危機の起源と排日移民法 論創社 1997年
慶応義塾大学法学部政治学科玉井清研究会 排日移民法と日本のマスメディア 1996年 近代日本政治資料 4
高橋経 還らない日本人 : 偏見と差別に耐えた北米日本人移民100年史 黄禍篇 同時代社 1991年
粂井輝子 在米日本人移民にみる異文化接触の衝撃 : 排日運動との関連において 長野県短期期大学 1990年   続きを読む 排日移民法関連文献

平成23年慶應義塾戦没者追悼会

 平成23年11月12日、慶應義塾大学塾監局前庭園において、「慶應義塾戦没者追悼会」が執行された。代表献花の後、参列者全員が「還らざる学友の碑」へ献花した。追悼会終了後、記念撮影をし、南校舎3階の社中交歓「萬来舎」で懇談会が開催された。 続きを読む 平成23年慶應義塾戦没者追悼会