大東亜戦争終結後、わが国が二度と立ち上がれないようにするためにアメリカが行った占領政策ほど徹底したものはない。今日に至る日本人の精神的荒廃も、この占領政策に源を発している。
占領政策によって、日本は自分の目を失い、占領軍によって与えられた目で物事を見、判断するようになってしまったのである。それを著者は「義眼をはめ込まれた」と表現する。
占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(日本人に戦争犯罪の意識を刷り込む情報宣伝計画)の一環として、徹底した検閲を行った。事前検閲だけではなく事後検閲があった。
事後検閲とは、出版物などを発行した後で占領軍からクレームがつけられることだ。事後検閲を受けると、印刷した新聞も雑誌も、即座に反故にしなければならない。そうならないように、占領軍からクレームがつけられそうな内容・表現をあらかじめ修正するようになる。これが「自己検閲」だ。
〈最初は自己検閲をしているという意識はあったのでしょう。しかし、それがいつの間にか習い性になって、知らず知らず占領軍の目が自分の目になってしまったのです。これが「義眼をはめ込まれた」という意味です〉(17頁)
そして著者は、自分の目で見ることができず、たえず占領軍の目で見て、占領軍の目で物を書くようになってしまったことが、戦後ジャーナリズムの歪みの源ではないかと指摘する。
興味深いのは、著者が「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の源流として、一連の日本人の「国民性」論、日本文化論の存在を挙げている点だ。アメリカの神道学者D・C・ホルトム、イギリスの社会人類学者ジェフリー・ゴーラーの論文、そしてルース・ベネディクトの『菊と刀』などである。
これらの著作は、日本人の国民性あるいは神道と軍国主義や超国家主義を混同し、日本の家制度を階層的な男女差別の根源とみなし、『武士道』は軍国主義を正当化するために書かれたものだと誤解している、と著者は主張する。
『菊と刀』において、欧米の文化は神を意識し、その神の教えに背くことを罪と考える「罪の文化」であるのに対し、日本の文化は世間の目を意識する「恥の文化」であるとの主張が展開されていることは、比較的良く知られている。
ベネディクトは、1943年にOWI(戦時情報局)の海外情報部文化研究基礎分析課の責任者を任された。翌年6月には外国戦意分析課の主任アナリストを兼ねるようになり、日本人の国民性の研究を依頼された。その研究結果をまとめたのが1946年に発表された『菊と刀』だ。同書第一章「研究課題─日本」の冒頭で、ベネディクトは次のように書いている。
〈日本は最も異質な敵であった。日本軍と日本本土に向けた宣伝(プロパガンダ)において、私たちはどのようなことを言えば、アメリカ人の生命を救い、最後の一人まで徹底抗戦するという日本人の決意をくじくことができるだろうか〉(61頁)
ベネディクトらによるこうした対日心理戦の研究が、アメリカの対日占領政策に活用されていったのだ。その議論を主導したのが、国務省の広報担当国務次官補アーチボルト・マクリーシュであった。彼は、ベネディクトらの研究を応用して、日本の「再教育・再方向づけ」の重要性を説いたのである。
その際、『菊と刀』の議論が決定的な役割を果たす。日本の「再教育・再方向づけ」のための最重要課題として、「罪の文化」が欠如した日本人の心に侵略戦争を起こした罪の意識すなわち「戦争有罪性」を植え込むことが位置付けられたのである。そして、「精神的武装解除」政策の最重要課題として「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が実施されるに至る。著者は、この過程を膨大な資料に基づいて実証した。
著者の占領史研究は30年前に遡る。「特攻隊は犬死だった」。高校時代の歴史教師がニヤニヤしながらそう話したことが、著者を決意させた。日本の戦後史を書き換えたいという思いを抱き、著者はアメリカで占領期の機密文書が公開されるや直ちに渡航、約250万頁にもわたる英文を調査した。そして、30年を経た一昨年から追加調査を敢行、数々の新事実を発見したのである。
日本人が本来の目を取り戻し、自立するために、改めて占領政策の実態を知る必要があると痛感する。