戦前の興亜思想台頭期には、「トゥラン主義」が盛んに提唱されていたが、戦後は封印されてしまった。コトバンクは「トゥラン主義」を次のように定義している。
「トルコ・ナショナリズムの一潮流。トゥランとは、ユーラシア大陸に広がるトルコ系諸民族の総称であり、トゥラン主義は、それら諸民族の一体性を追求しようとする立場である。そこでは、一体たるべきものの中に、マジャール、フィン、モンゴル、ツングース等、広義のウラル・アルタイ系諸言語を話す人々をも含めようとする場合もあり、トゥラン概念は大きな振幅をもっている。ツァーリズム支配を脱する目的で、19世紀後半、ロシア治下のトルコ系住民の間に生まれたトゥラン主義は、〈青年トルコ〉革命後、オスマン帝国内にもちこまれた」
昭和17年に今岡十一郎が著した『ツラン民族圏』は、結論部分で次のように指摘している。 「……元来、ヨーロッパはアジアの一半島に過ぎない。民族的にも、精神的にも、フジヤマからカールパート山脈までの間、すなはち、ユーラシアを貫く『ツランは一体である』のである。このユーラシア大陸の黒土帯をつらぬく一つの血、一つの大陸における枢軸国家群の中枢こそ、ツラン民族の郷土であり、内陸アジアであり、乾燥アジアであり、中央アジアであり、トルキスタンであるのである。… 続きを読む 今岡十一郎の「ツラン・アジアの道義的文化圏建設」構想
「維新と興亜」カテゴリーアーカイブ
頭山満─維新・興亜陣営最大のカリスマ
南洲の魂を追い求めて─終生の愛読書『洗心洞箚記』
大正十年秋、後に五・一五事件に連座する本間憲一郎は、頭山満のお伴をして、水戸の那珂川で鮭漁を楽しんでいた。船頭が一尾でも多く獲ろうと、焦りはじめたときである。川の中流で船が橋に激突、その衝撃で船は大きく揺れ、船中の人は皆横倒しになった。そのとき、頭山は冬外套を着て、両手をふところに入れていた。
「頭山先生が危ない!」
本間は咄嗟に頭山の身を案じた。川の流れは深くて速い。転覆すれば命にかかわる。
ところが、本間が頭山を見ると、頭から水飛沫を被ったにもかかわらず、ふところに手を入れたまま、眉毛一つ動かさず悠然としている。驚きもせず、慌てもせず、いつもの温顔を漂わせていたのである。「これが無心ということなのか」。
この体験を本間は振り返り、頭山が大塩平八郎の心境に到達していたものと信じていると書き残している。大塩は天保三(一八三二)年、中江藤樹の墓参の帰り、琵琶湖で暴風に遭い、転覆の危機に直面した。このときの教訓を大塩は、その講義ノート『洗心洞箚記』に記している。 続きを読む 頭山満─維新・興亜陣営最大のカリスマ
佐藤文雄と維新派言論機関『大気新聞』
松村介石、満川亀太郎、大川周明らの思想的影響を受けて、独自の興亜・維新運動を展開した佐藤文雄は、大正15年4月に宮城の気仙沼で大気社を創設、『大気新聞』を発刊した。言論機関としての高い志は、創刊号の次の一文に示されている。
「現代文明社会に於て社会教育機関として又報道機関として新聞紙の必要なることは吾人の今更論ずるまでもない所である。然しながら現今公にせられてゐる新聞を見るに其の何れもが新聞本来の目的から遠ざかり徒らに一方に偏し情実にとらはれ、営利のみ目的とし公明を失してゐる、殊に地方に横行する新聞の如きに至っては其の低劣なるに吾人の等しく遺憾とする所である、かかる現状を黙視するに忍びず決然として起ち……真の文明なる理想の社会建設の為に全力を傾注するのは吾が同人の大気新聞である」
「大気」と命名した理由を、佐藤は次のように説明している。
「藤田東湖先生の正気歌の劈頭に『天地正大気、粋然として神州にあつまり秀ては不二岳となり巍々として千秋に聳え』云々とあるが、此の気ありてこそ日本は常に最高の善に向ひ創造されつつあるのである。……天下に峻徳を明らかにし、人類を一様に慈み養ふの象徴は、我が地球を普く包む大気に於て明かに現され、所謂吾人は此の大気の潤徳により生を続け、然かも日に日に新らたなる己を造りゆく事が出来るのである。日に新らたなる己を造るということは新日本を創造するの所以である。即ち此の理想的新日本建設の第一歩として地方人の英気を養ひ地方文化の向上と産業発達のために、敬愛する我が同郷の各位と一致協力、大気仙沼建設のため一大貢献をなさんとするものである。これ我が同人が『大気』の名を選び、世のあらゆる不義非道に対して宣戦を布告するの覚悟、即ち筆を投ずるの覚悟を以て新聞を発刊した所以である」
『大気新聞』は綱領として、
一、宗教的生活の実現 一、精神生活に於ける自由の実現 一、政治生活に於ける平等の実現 一、経済生活に於ける友愛の実現 一、地方文化発達の実現 一、産業交通政策の確立──を掲げ、次のように宣言した。
〈「大気新聞」は筆を投ずるの覚悟を以て刊行するものであります。筆を投ずるの覚悟とは即ちあらゆる世の不義非道に対する宣戦を布告するの覚悟であります。平等を欠ける現在の政治は特権階級擁護の政治であります。友愛の精神なき経済生活は幾多同胞を死滅せしめんとして居ります。更らに精神生活に自由を失へる日本国民は真実の意味に於ける奴隷であります。日本は今や国民的にも国際的にも奴隷解放の陣頭に起つ秋が来たのであります。日本は何時までも同じ日本ではありません。日本は現に造られつつある国であります、即ち最高の善に向って突進する国でなければなりません、国家は国民の魂を基礎とし且つ国民の魂を以て組立てられた家であります。故に日本を創造しつつある者は吾人お互の魂なのであります。孔子は三千年の昔に於て「明徳を天下に明にせんと欲する者は先づ其国を治め共国を治めんと欲する者は先づ其家を斉ふ其家を斉へんと欲する者は先づ其身を修む」と説示して居るではありませんか。所謂吾人其者を救ふは日本国家其者を解放するの所以でなければなりません、日本国家の解放は、やがて大亜細亜の解放であります。大亜細亜の解放は、やがて人類の解放であります。即ち我が日本は人類解放戦の大使徒たることを信じなければなりません。吾人「大気新聞」同人は其力小なりと雖も以上の理想実現のため渾身の努力を続けんとするものであります。即ち其第一歩としてお互国家中心勢力たる地方人の天地正大の気を養ひ地方文化の向上と産業交通発達のため一大貢献をなさんとするものであります〉
今こそ興亜論に目覚めよ!─『大東亜論 巨傑誕生篇』刊行の意義
興亜論研究の基礎文献『東亜先覚志士記伝』
黒龍会編『東亜先覚志士記伝 上巻』(黒龍会出版部、昭和8~10年)と同下巻(同、昭和11年)が近代デジタルライブラリーに収録された。
玄洋社・黒龍会を中心とする興亜論研究の基礎文献。下巻には列伝が収められている。
人類文明創造へのアジア人の志─大東亜会議七十周年記念大会開催さる
以下、『月刊日本』2013年12月号に掲載された記事とその英訳を転載します。
人類文明創造へのアジア人の志
大東亜戦争下の昭和十八年十一月五日、六日の両日、東京で大東亜会議が開催された。東條英機総理、中華民国(南京)国民政府の汪兆銘行政院長、満州国の張景恵総理、フィリピンのホセ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ総理、タイのワンワイタヤーコーン親王、オブザーバーとして自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加し、列強の植民地支配を痛烈に批判した。
それから七十年目を迎えた平成二十五年十一月六日、憲政記念館で「大東亜会議七十周年記念大会」が開催された。頭山興助氏と加瀬英明氏が開催実行委員会共同代表を務め、チャンドラ・ボースの兄の孫のスルヤ・ボース氏、元ニューヨークタイムス東京支社長のヘンリー・ストークス氏らが記念講演を行った。 続きを読む 人類文明創造へのアジア人の志─大東亜会議七十周年記念大会開催さる
大東亜共同宣言第五項と佐藤賢了
大亜細亜協会で活躍した中谷武世は、昭和50年に刊行した『戦時議会史』(民族と政治社)の中で、「『大東亜会議』とその意義」に一章を割き、同会議の経過と歴史的意義について言及している。
そこには、大東亜共同宣言の起草者の一人である佐藤賢了(陸軍省軍務局長)の次のような回想が引かれている。
「大東亜共同宣言について、私がとくに述べたいことは、綱領の最後の項にある人種的差別観の撤廃である。初め草案を作成中、幹事補佐の間には、この項を挿入することに反対意見が強かった。その主旨は、第一次世界大戦後のパリ講和会議に、日本が人種的差別観の撤廃を持ち出して入れられなかったし、またこんどの戦争をどうかすると人種戦と化し、争いを深刻化することを恐れたからである。しかし私は、第一次世界大戦当時からの日本の主張は堂々と高唱すべきで、現に日本が大東亜各地で実行しつつあり、それが民心をつかんでいる大きな理由であると思っていた。人種差別の撤廃は理想でなく現実だ。これを高揚しない理由はないと考えた。連絡会議で重光外相が喜んで同意し、ほかにも異存がなかったので挿入された。戦後の今日、大東亜各地に親日感が残っている理由の大いなる一つは、この人種差別観の撤廃であると思う。これは米・英人など西欧人には容易にできない相談であると思う。米国のリトルロックにおけるあの烈しく、執拗な人種差別の争いがその好例であろう」
亜細亜義会関係資料①
情報局編『アジアは一つなり』(昭和18年)の目次
松本君平『アジア民族興亡史観』の目次
第一章 緖論
第二章 アジア病とは何か
第三章 アジア民族衰亡の跡に鑑よ
一 葡萄牙人のアジ侵略(侵略の急先鋒)
二 西班牙人のアジア侵略
三 和蘭人のアジア侵略
四 英人のアジア侵略
(A) 全印度の経略
(B) 緬甸の経略
(C) 馬来半島及南洋諸島の経略
五 仏人のアジア侵略
六 露人のアジア侵略
七 米人のアジア侵略
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