「西洋近代への抵抗」カテゴリーアーカイブ

「南北問題」封印の力学

以下の表は、国立国会図書館所蔵の書籍のうち、書名に「南北問題」を含む書籍である。
年代別に点数を見ると、1960年代9点、1970年代35点、1980年代29点、1990年代13点、2000年代8点となっている。1970年代、1980年代が圧倒的に多い。
南北問題が解決を見たわけではないのに、2000年代移行南北問題に関する書籍の刊行が激減しているのである。そこに、南北問題を封印しようとする見えない力学を感じる。

タイトル 著者 出版社 出版年
低開発国貿易と援助問題 いわゆる南北問題の解明 外務省経済局 外務省経済協力局 国際連合局 編著 日本国際問題研究所 1964
南北問題入門 低開発国と日本 日本経済新聞社 1964
国連貿易開発会議の研究 南北問題の新展開 外務省 編 世界経済研究協会 1965 続きを読む 「南北問題」封印の力学

大東亜共同宣言第五項と佐藤賢了

 大亜細亜協会で活躍した中谷武世は、昭和50年に刊行した『戦時議会史』(民族と政治社)の中で、「『大東亜会議』とその意義」に一章を割き、同会議の経過と歴史的意義について言及している。
そこには、大東亜共同宣言の起草者の一人である佐藤賢了(陸軍省軍務局長)の次のような回想が引かれている。
「大東亜共同宣言について、私がとくに述べたいことは、綱領の最後の項にある人種的差別観の撤廃である。初め草案を作成中、幹事補佐の間には、この項を挿入することに反対意見が強かった。その主旨は、第一次世界大戦後のパリ講和会議に、日本が人種的差別観の撤廃を持ち出して入れられなかったし、またこんどの戦争をどうかすると人種戦と化し、争いを深刻化することを恐れたからである。しかし私は、第一次世界大戦当時からの日本の主張は堂々と高唱すべきで、現に日本が大東亜各地で実行しつつあり、それが民心をつかんでいる大きな理由であると思っていた。人種差別の撤廃は理想でなく現実だ。これを高揚しない理由はないと考えた。連絡会議で重光外相が喜んで同意し、ほかにも異存がなかったので挿入された。戦後の今日、大東亜各地に親日感が残っている理由の大いなる一つは、この人種差別観の撤廃であると思う。これは米・英人など西欧人には容易にできない相談であると思う。米国のリトルロックにおけるあの烈しく、執拗な人種差別の争いがその好例であろう」

亜細亜義会関係資料①

 外務省外交史料館所蔵 亜細亜義会関係雑纂「明治43年12月1日から明治44年9月9日」には、亞細亞義会の設立主意、事業順序、会則、『大東』などがファイルされている。
(PDFデータは、アジア歴史資料センターのサイトからダウンロードしたDjVuデータをもとに作成したもの)

鳩山由紀夫氏「Towards a Common Future & Shared Prosperity」

 筆者は、日本外交の課題は対米追従から脱却して自主外交を確立することだと考えている。その際、中国の覇権主義を制御しつつ、東アジア共同体のリーダーシップをとることが極めて重要な課題となる。
 こうした中で、東アジア共同体研究所理事長を務める鳩山由紀夫元首相は、2013年7月13日にマレーシアで開催された第10回ASEANリーダーシップ・フォーラムで「Towards a Common Future & Shared Prosperity」と題して講演した。
 以下に、同研究所HPに掲載された日本語訳の一部を転載させていただく。

〈私は総理時代に、「東アジア共同体の創造」を新たなアジアの経済秩序と協調の枠組み作りに資する構想として、国家目標の柱の一つに掲げました。東アジア共同体構想の思想的源流をたどれば、「友愛」思想に行き着きます。「友愛」とは自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方のことで、「自立と共生」の思想と言っても良いでしょう。そして今こそ国と国との関係においても、友愛精神を基調とするべきです。なぜなら、「対立」ではなく、「協調」こそが社会発展の原動力と考えるからです。欧州においては、悲惨な二度の大戦を経て、それまで憎み合っていた独仏両国は、石炭や鉄鋼の共同管理をはじめとした協力を積み重ね、さらに国民相互間の交流を深めた結果、事実上の不戦共同体が成立したのです。独仏を中心にした協力の動きは紆余曲折を経ながらその後も続き、今日のEUへとつながりました。この欧洲での和解と協力の経験こそが、私の構想の原型になっています。
すなわち、私の東アジア共同体構想は、「開かれた地域協力」の原則に基づきながら、関係国が様々な分野で協力を進めることにより、この地域に機能的な共同体の網を幾重にも張り巡らせようという考え方です。 続きを読む 鳩山由紀夫氏「Towards a Common Future & Shared Prosperity」

松本君平『アジア民族興亡史観』の目次

  

昭和18年に松本君平が刊行した『アジア民族興亡史観』(アジア青年社)の目次は以下の通り。

第一章 緖論
第二章 アジア病とは何か
第三章 アジア民族衰亡の跡に鑑よ
 一 葡萄牙人のアジ侵略(侵略の急先鋒)
 二 西班牙人のアジア侵略
 三 和蘭人のアジア侵略
 四 英人のアジア侵略
 (A) 全印度の経略
 (B) 緬甸の経略
 (C) 馬来半島及南洋諸島の経略
 五 仏人のアジア侵略
 六 露人のアジア侵略
 七 米人のアジア侵略
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川端福一『アジアの囚人 英国の印度侵略史』目次

 川端福一が昭和16年に刊行した『アジアの囚人 英国の印度侵略史』の目次は以下の通り。
 ・一 緖論
 ・二 印度航路の発見
 ・三 欧洲諸国人の印度進出
 ・四 英国制海権を握る
 ・五 東印度会社
 ・六 ブラシー戦争
 ・七 怪傑クライブの人為
 ・八 英国の印度併合
 ・九 英国のビルマ併呑
 ・一〇 印度搾取の跡
 ・一一 東印度会社の暴政
 ・一二 印度の飢饉
 ・一三 鐵道と潅漑
 ・一四 英国の残忍性
 ・一五 第一次欧洲大戦と印度

書評─『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(『月刊日本』平成25年3月号)

  戦勝国の論理でわが国を断罪した極東国際軍事裁判(東京裁判)の最終判決に対しては、インド代表のパール判事だけではなく、フランス代表のアンリ・ベルナール判事が異議を唱えていた。ところが、これまでベルナールの主張は注目されてこなかった。この忘れられたフランス判事の実像に迫ったのが本書である。
東京裁判において、多数派判事たちは、わが国が満州での権益とそれを守る権利を持つことまでは認めながらも、わが国の行動は明らかにそれを逸脱していたと主張した。これに対してベルナールは、日本が条約で手に入れた満州の地を自らの「生命線」とみなしていたのは何ら不法なことでもなく、既得権を脅かされた日本軍がその防衛のためにしばしば起こした騒動のいくつかは当然の権利として起訴されるに値しないと擁護したのである(168頁)。
さらに注目すべきは、東京裁判には正当で公正な判断を下すために必要な信用できる証拠が圧倒的に足りず、その採用の仕方にも偏りがあると、ベルナールが考えていたことである。 続きを読む 書評─『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(『月刊日本』平成25年3月号)