坪内隆彦 のすべての投稿

デジタルライブラリーで読める世界紅卍会関連書籍

内田良平『満蒙の独立と世界紅卍字会の活動』先進社、昭和6年
末光高義『支那の秘密結社と慈善結社』満洲評論社、昭和7年
皇道大本本部『皇道大本事務便覧』天声社、昭和8年
興亜宗教協会編『世界紅卍字会道院の実態』興亜宗教協会、昭和16年
橘樸他著『道教と神話伝説 : 中国の民間信仰』改造社、昭和23年

大和魂と女子

吉澤義則『やまとことば』(教育図書、昭和17年)の読書ノート。

吉澤は、1876年8月愛知県名古屋市に生まれた。東京帝国大学国文科を卒業し、1908年京都帝大助教授に就いた。1918年文学博士号を授与され、1919年教授に就任。『源氏物語』を研究し、学者として初めてその現代語訳を行った。

吉澤は『やまとことば』において、大和魂と女子の関係に注目して次のように書いている。
「詩文の流行につれて、男子は詩文を練り漢語を磨くことに没頭して国語を忘れた。その間も、詩文に無縁であつた女子は、わきひら見ずに国語を愛撫しつゞけた、そして、その国語によつて和歌を詠み消息を綴つた。かくして磨きあげられた国語が、古今和歌集を生み、源氏物語を生んだのであつた」(12、13頁)
吉澤は、大和心という言葉も、大和魂という言葉も、この平安女子の文学に用いられてあるのが、所見の最初であると述べる。そして、大和心という言葉は赤染衛門の和歌に初めて現われ、大和魂という言葉は紫式部の源氏物語に初めて用いられており、大和心、大和魂という言葉は、漢学教育に終始した男子が創った「才」(ザエ、知識の意味)」に対立して生まれたものだと説き、それは「男子の得意とする漢才に対抗して、女子の負けじ魂が称へはじめた名と、私は考へてゐる」と書いている(18頁)。

マレーシアとTPP

 2012年夏、マレーシアのTPPに対する姿勢が変化した。8月6日、リオウ・ティオンライ保健相は「新薬の特許に関するアメリカの主張はマレーシアにマイナス」と述べ、TPPに反対する姿勢を示した。さらにティオンライ保健相は、ISD条項にも批判的な発言をしている。
 以下に引用する、マハティール元首相のブログでの発言(6月19日)が転機になっている。

T P P
JUN19
2012 24 COMMENTS WRITTEN BY CHEDET

1. Not many people know what these letters stand for. I too did not know until some Japanese MPs gave me a badge with “No to TPP” for me to wear.
2. They told me that TPP means Trans Pacific Partnership. It is conceived and promoted by the United States of America. Apparently Malaysia had agreed to join this new organization.
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法本義弘の『靖献遺言』研究書①

連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」の二冊目(浅見絅斎『靖献遺言』)執筆のために、法本義弘による研究書と向き合っています。700頁を超える『靖献遺言精義』、そのエッセンスを分かりやすくまとめた『淺見絅齋の靖獻遺言』。


近藤啓吾先生による体系的な研究と並んで、これら法本による著作も『靖献遺言』理解に非常に役立ちます。

非同盟諸国会議、イランの核平和利用権を支持


2012年8月31日、イランの首都テヘランで開かれた非同盟諸国首脳会議は、イランへの欧米による「一方的な制裁」を非難するとともに、イランに平和的な核エネルギー利用権があるとした共同宣言を採択した。共同宣言には、イスラム教徒に対する嫌悪、差別への批判も盛り込まれた。
2015年に開催される首脳会議の議長国はベネズエラ(⇒アメリカに物申す男)が務めることも決定した。

「森本敏防衛大臣は『日米安保利権』の中心だ」と

一水会の木村三浩代表は『月刊日本』9月号に掲載されたインタビュー記事で、わが国防衛産業振興の観点からのオスプレイ導入反対論を展開した上で、次のように語っています。
〈知識人すらも日米安保体制という既定路線に囚われてしまっているということだ。しかし、日米安保体制を強化することで日本の国防を強化するという主張は、到底受け入れられるものではない。なぜならば、これはアメリカの属国という立場に基づく主張だからだ。この主張は、中国の属国にならないために、ますますアメリカの属国になるべきだというようなものではないか。
このような主張の背後には、日米安保体制を維持することによって成り立つ利権構造が存在していると言わざるを得ない。政治家、外務・防衛官僚、防衛産業、学者、マスコミが「日米安保利権」を貪っており、森本敏防衛大臣はその中心的な人物だ。もし、利権の維持のために日米安保の固定化を主張するような輩がいるとすれば、それは愛国者の皮を被った売国奴に他ならない。
我々は、独立自尊の日本を志向する立場から、日米関係を論じなければならない。確かに日米の友好関係はあって然るべきだろう。しかし対米関係において、日本が属国として主従関係を結ぶということと、日本が独立国として対等な関係を築くということは、全く別の話だ。日米安保体制から脱却することと、「日米関係」を継続することは、区別して考えなければならない。〉

皇道思想の先覚・今泉定助と白石神明社

世界皇化に人生を捧げた皇道思想の先覚、今泉定助先生は、文久三(一八六三)年二月九日、仙台藩重臣・片倉家の家臣、今泉伝吉の第三子として誕生しました。明治七、八年頃に白石神明社の祠家佐藤広見の養子となったのが、神道人として立つきっかけです。
平成二十年二月、筆者は今泉先生の評伝執筆のため、郷里の宮城県白石市を訪れました。神明社の佐藤武比古宮司にお願いして神殿の中に入るや、筆者の目に飛び込んできたのは、頭山満、真崎甚三郎ら当時の錚々たる人物の書でした。広範な社会層への今泉先生の影響を窺わせます。

先生晩年の昭和十七年九月十五日、神明社境内に先生の功績を称える頌徳碑が建てられ、その除幕式が行われました。縦二間、横四尺の堂々たるものです。米内光政海軍大将の「国体明徴」の題字、小磯国昭大将の頌徳文が刻まれました。同時に、生誕地の白石町役場隣接地には、松井石根大将の「皇道発揚」を刻んだ記念碑が建てられました。現在「皇道発揚」の記念碑は、白石城址公園と神明社が境を接する路傍に建っています。

アジャンター壁画と法隆寺金堂壁画

岡倉天心の評伝執筆のため、平成9年にインドのマハラーシュートラ州北部にあるアジャンター石窟群を訪れました。天心は、明治35年2月半ばにここを訪れていました。

石段を5分ほど登る。天心の眼前に、馬蹄形にカーブするワーグラー川にそって500メートルにわたる巨大な石窟寺院群が迫ってきた。

紀元前2世紀ごろから、仏教僧たちは雨期の雨を避けて修行を続けられるようにするため、石窟僧院を掘ったのである。やがて5世紀中頃、大乗仏教の時代から壁画が描かれるようになった。
200メートルほど歩くと、第一窟に着く。天心が中に入ると、理知的で気品に満ちた表情の菩薩像が浮かびあがる。大きな波形の連眉、切れ長の目、引き締まった口。ややうつむきかげんで、右手に青い蓮華をもつ蓮華手菩薩像。この色彩豊かな壁画を見たとき、天心は即座に法隆寺金堂壁画との類似を見出している。

志士ベニグノ・ラモスの悲劇─日比連帯へのアメリカの憎悪

「日本人としてもっとも銘記すべき悲劇の英雄であり、日本人が花束をささげて、永遠にその友情を忘れてはならない人物だと信ずる」
一九七一年に葦津珍彦先生は、フィリピンの志士ベニグノ・ラモスについてこのように書いた(『新勢力』)。
ラモスの人生を大きく変える事件は、一九三〇年に起こった。マニラ・ノース・ハイスクールに勤めていた、あるアメリカ人女性教師が、フィリピン人は「バナナ食いの猿のようなものだ」と侮蔑的発言をしたことが発端だ。この発言をきっかけに、市内のいくつかの高校の生徒が一斉に同盟休校し、世論が沸き立った(『アキノ家三代 下巻』)。
当時、フィリピンはアメリカの植民地だった。ラモスは、沈静化を図ろうとするマニュエル・ケソン上院議員に楯突き、官界を自ら去り、対米独立闘争の先頭に立つことを決意した。彼はフィリピン人エリート層がアメリカの権力に阿り、フィリピン民衆の利益を擁護できていないと主張、対米要求に弱腰のケソン指導部を攻撃し、即時、絶対、完全独立を要求した。また、農民の貧困問題の解決を訴えた。 続きを読む 志士ベニグノ・ラモスの悲劇─日比連帯へのアメリカの憎悪