五十嵐智秋「忘れられた日中友好に取り組んだ政治家・木村武雄」(『木村武雄の日中国交正常化─王道アジア主義者・石原莞爾の魂』レビュー、令和4年10月29日)

 戸川猪佐武の『小説 吉田学校』には、四十日抗争(大平正芳と福田赳夫の派閥争い)を仲介する役として、田中(角栄)派の木村武雄(「元帥」のあだ名を持つ)が出てくる。それだけ永田町では「円満」な人柄として慕われていたのだろう。評者もその程度しか認識が無かった。
 今回、坪内氏が「木村武雄の日中国交正常化」に焦点を当てた事で、自民党内の派閥争いを調停する長老役としてだけでなく、西郷隆盛から石原莞爾へと続く「王道アジア主義」を木村武雄が体現しようとしていたことが理解できる。それは昭和47年の田中角栄内閣における日中共同声明が木村武雄の「影武者」的活躍があったればこそである。
 しかし、明治以降・戦前の時代背景も有るが、どうしても大陸(中国・支那)との友好が強調され、台湾(国民党)との関係性があまり出てこないのが残念であった。田中角栄の日中共同声明における台湾問題については、田口仁氏の「田中角榮と中国ー日中共同声明と台湾問題」(『維新と興亜 創刊号』)に譲りたい。また、概要的な台湾問題については小林よしのり氏の『台湾論』などもあるので、今後も研究を深めたいと思っている。

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