我妻栄編『日本政治裁判史録 明治・前』(昭和四十三年)は、明治四年の愛宕通旭事件と久留米藩の反政府運動との関係について次のように述べている。
〈これには高知藩脱藩堀内誠之進が関係している。堀内誠之進は、さきに、大村益次郎を襲撃した刺客らと交わりがあつた。のち、攘夷を夢みて久留米に走り、古松簡二とともに、熊本の高田源兵衛を説いて山口藩兵隊の指揮に当らせようと画策している。さらに堀内は東上し、比企田源二の宅へ逗留し、愛宕にも面識を得ている。この折、愛宕一党の策士、柳河藩の古賀十郎にも会つて、陰謀計画の議に与つている。従つて堀内の行動からは、山口敗兵・久留米藩士・高田源兵衛・愛宕一党の間に、ある程度の人的関連があつたことは明らかである。けれども、それぞれ各党には独立した成立原因があつて、連繋行動をとるまでには至つていない〉
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