マレーシア国産車メーカー・プロトン

自動車国産化の夢
 国産自動車を作ることは、一流の工業国を目指す国家指導者の夢でもある。だが、それはそれほど簡単なことではない。スハルト時代にこの夢を追い求めたインドネシアも挫折した。
 かつてスズやゴムなどの一次産品の輸出に依存していたマレーシアは、1970年代から本格的な工業化を推進、マハティール首相の強力なリーダーシップによって、ついに自動車国産化の夢を果たしたのである。 
 マハティール首相は、貿易産業相時代の1979年には、自動車国産化の構想を持っていた。1980年1月には彼の提案で重工業部門のプロジェクト立案から実行、経営までを推進する会社としてマレーシア重工業公社(ハイコム)が設立されている。そして、マハティール首相は政権に就くや、自動車国産化計画をぶちあげたのである。1981年10月、三菱商事の三村庸平社長との会談が決まり、マハティール首相は東京に乗り込んだ。そして「我が国で自動車を生産したい。なんとか助力をもとめたい」と三菱に支援を求めた。
 ついに1983年5月、ハイコムと三菱自動車工業と三菱商事の三社の合弁で、マレーシアの国産自動車メーカー、ペルサハン・オートモービル・ナショナル(略称プロトン社)が設立されたのである。
 そして1985年7月、三菱の「ミラージュ」をベースにし、マレーシア国産車第1号、「サガ」(SAGA)の生産が開始された。イスラームのシンボルでもある月と星をあしらったフロントマスクが印象的である。
 プロトン車の販売をてがけるのが、ハイコム傘下のエダラン・オートモビル・ナショナル(EON)である。

ウィラを発表するマハティール首相
 1993年には「ミラージュ/ランサー」をベースにウィラ(WIRA)の生産を開始した。
さらに1995年には、「エテルナ」をベースに2000ccクラスの乗用車としてペルダナ(PERDANA)の生産を開始した。

経済危機による苦境
 1996年末には、プロトンは1985年の生産開始以来、100万台の製造を達成、国内シェアで約6割を握るまでに成長した。
だが、マレーシアの人口は2300万人に過ぎない。マレーシア自動車産業が国内市場に依存して成長を続けることが難しい。そこで、プロトンは早い段階で積極的に輸出をはじめている。イギリスを中心にした欧州市場に加え、1995年からはオーストラリア向けの輸出も開始した。
 プロトンの長期目標は、自力発展である。サガ以来プロトン車は、三菱車をベースに開発されたてきたが、デザインや製品イメージは独自開発したいと考えるようになった。
 また、三菱からの技術移転を促すとともに、プロトンはフランスのシトロエンやイギリスのローバーと相次ぎ提携し、技術力を蓄積しようとしてきた。1997年に発売された小型乗用車ティアラは、「シトロエンAX」をベースにしている。また、プロトンは1996年10月にイギリスのスポーツカーメーカー、ロータス・カーズを買収することで合意、英南部のノーフォークに技術開発拠点「プロトン・プロジェクト・センター」を設置すると決めた。
 だが、1997年の通貨危機に端を発する経済低迷によって、プロトンも苦しい状況に追い込まれた。経済危機後、プロトンの株27.2%を握る筆頭株主のハイコムが経営危機に直面、ペトロナスの支援を得ることになった。2000年3月、ペトロナスはハイコム・グループとの間で、プロトンの株27.2%を買い取る契約書に調印した。これに先立ち、ハイコム、DRB、ガデク・マレーシア、ガデク・キャピタルの4社が合併している。
 経済の回復とともに、ようやくプロトンの業績も好転しつていった。1998年の生産台数は9万1000台まで落ち込んだが、1999年には約16万4000台まで盛り返した。

貿易自由化後の生き残り
 AFTA(ASEAN自由貿易地域)構想に基づいて、ASEAN主要国は2002年までに貿易自由化の対象品目の域内関税を5%以下に引き下げることで合意した。その後、2000年5月にミャンマーのヤンゴンで開催されたASEAN経済閣僚会議で、マレーシアについては自動車輸入関税引き下げを、2002年から2005年へと3年引き延ばすことが認められた。
 こうして、マレーシア政府は2005年からASEAN域外国からの輸入乗用車の関税率を80~200%から50%にまで引き下げた。ただし、物品税率が最高250%に引き上げられた。
 2005年5月に合意した日本との自由貿易協定(FTA)においても、大型車の関税を先行して撤廃するものの、排気量2000cc以下のクラスは2015年までの猶予を設けることにしてしいる。
 2004年3月に三菱自動車がプロトンの持ち株7.93%を売却、翌2005年1月には三菱商事も株7.93%を売却したが、2006年2月に三菱自動車との技術提携の基本合意書に調印、2008年12月には三菱自動車との間で新車の開発・生産に関する契約が締結されている。
 2012年1月には筆頭株主であった政府系投資会社カザナ・ナショナルが、保有するプロトン株42.7%をDRB-ハイコムに売却すると発表した。
 2017年5月、中国の吉利汽車が株の49.9%を保有し、DRB-ハイコムに次ぐ株主となった。

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