相馬御風『義人生田万の生涯と詩歌』(春秋社、昭和4年)に掲載された万ゆかりの写真
「著作/文献」カテゴリーアーカイブ
蒲生君平が頼りにした「諸陵寮」とは
蒲生君平の九志
蒲生君平は『山陵志』全二巻を板刻した際、サブタイトルに九志の一、九志の二と明記していた。彼は『神祇志』『山陵志』『姓族志』『職官志』『服章志』『礼儀志』『民志』『刑志』『兵志』の「九志」編纂を目指していたのである。しかし、『山陵志』と『職官志』の刊行にこぎつけたものの、残り七志を完成させることなく、文化10(1813)年に亡くなった。
安藤秀男氏は次のように解説している。
〈各志の関係を説いて、およそ国の礼は祭よりも大なるものはない。歴代天皇が、その誠敬を尽されたところも、ここにあるのだと、先ず「神祇志」を挙げる。また、神祇の祭礼に次いでは、御歴代の山陵が尊崇されなければならないと、『山陵志』を挙げる。次いで、神を祭り、祖先を祀るにも、氏族、あるいは家ごとに行なわれるが故に、氏族の系譜を知らなければならないと、「姓族志」を挙げる。そして、氏族制度と並んで、秩序を正しく維持するためには、官職の変遷を知らなければならないと、『職官志』を挙げる。さらに、職官には其れに相応した服章がなければならないと、「服章志」を挙げ、さらに、位に応じて守るべき形式のほかに、人間相互のあいだにも、必ず守らなければならない約束があると、「礼儀志」を挙げる。さらに、治められるもの、すなわち人民の上について、その生活の様式を知らなければならないと、「民志」を挙げる。さらに、人民を治めるには、礼とあわせて刑をもってしなければならないと、「用志」を挙げ、最後に、人民は礼と刑とをもって治め得ても、外国に対しては軍備がなければならないと、「兵志」を挙げている。
こうして見ると、「九志」というものには、首尾一貫した一つの思想体系のあることがわかる。それは、儒学の精神に立脚したところの政治の理想、聖人の道、王道とでもいうべきものである〉
稲村公望先生「日本、情報戦に敗北す」全文英訳
以下は、『月刊日本』平成25年10月号に掲載した稲村公望先生の「日本、情報戦に敗北す」の全文英訳です。
Japan Losing the Information War
Kobo Inamura
Visiting Professor
Chuo University
Japan Falls from Position as Representative of Asia
Interviewer: Professor Inamura, you went back to the Fletcher School of Law and Diplomacy in the United States, where you studied in the mid-1970s, and were shocked to see how much Japan’s presence has declined.
Kobo Inamura: Until the mid-1980s interest in Japan was extremely high in the United States, and Japanese studies were lively. The Edwin O. Reischauer Institute of Japanese Studies was established at Harvard University in 1973, Harvard Professor Ezra Vogel wrote Japan as Number One in praise of Japanese-style management in 1979, and the Reischauer Center for East Asian Studies was opened at Johns Hopkins University in 1984. 続きを読む 稲村公望先生「日本、情報戦に敗北す」全文英訳
賀茂真淵『祝詞考』①
契沖『和字正濫妙』①
契沖が書いた語学の専書には、以下の7点がある。
一、正字類音集覧 延宝4(1676)年成
二、正語仮字篇 貞享2(1685)年成
三、詞草正採鈔 貞享4(1687)年成(偽撰本の疑あり)
四、和字正韻 元禄4(1691)年設
五、和字正濫鈔 元禄6(1693)年成
六、和字正濫通妨抄 元禄10(1697)年成
七、和字正濫要略 元禄11(1698)年成
『契沖全集 第10巻』(岩波書店、1973年)に収められた、国語学者の築島裕による「解説 契沖述作の語学書について」によると、以上の7点は、内容によって類別すると、次の4類となる。
第一類 正字類音集覧……唐音(契沖当時のシナ現代語音と考えられる)によって漢字を類聚したもの
第二類 正語仮字篇・和字正韻……万葉仮名の字母を、いろは順に分類したもの
第三類 詞草正採鈔……枕詞を意義により分類したもの
第四類 和字正濫妙・和字正濫通妨抄・和字正濫要略……仮名遣いについて述べたもの
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山県大弐の放伐肯定論に対する鳥巣通明先生の批判
山県大弐『柳子新論』利害(第12)には、湯武放伐論を肯定した箇所があります。この問題について、『月刊日本』平成25年10月号(9月22日発売)で言及しましたが、『日本学叢書 第6巻 奉公心得書・柳子新論』(雄山閣、昭和14年)において、鳥巣通明先生が詳しく論じていますので関係箇所を引いておきます。
〈勿論、大弐の説くところは、幕府の存在を正当化せんが為めに御用学者によって唱道された放伐肯定と区別さるべきであり、彼が武家政治を否定し、主観的には皇政復古を目ざしたことも亦認めらるべきであるが、その革新の原理、立場は……不幸にも未だ儒学思想を完仝には脱却してゐなかつたのである。……政治の要諦として彼が「正名」を説き「得一」を主張し、「大体」を論ずるのは確かに傾聴すべき卓見である。然しながら、それは志向態度の正しさであつて、「正名」「得一」「大体」等が如何なる実質的主張内容をもつかは自ら別問題である。こゝに見る如く、柳子新論は、その点を検討することによつて破綻を暴露するかに思はれる。「其間忠義ヲ奮ヒ命ヲ殞シ節ニ赴ク者アリドモ、君臣ノ義ニ於テ錬達講磨スル所或ハ精シカラザレバ心私ナシトイヘドモ、義ニ悖リ忠ヲ失フ者皆是也」とは浅見絅斎先生の語であるが、(靖献遺言講義上)、心私なく、真摯国を憂へ、勇敢に時弊を解剖し、その革新に邁進した山県大弐は、君臣の義に於て錬達講磨するところ精しからざりしが故に、換言すれば、国史を云為しつゝも革新の原理を外国思想に求めしが故に、無意識の中に大いなる過誤を犯し、義に悖り忠を失つたものであらう。まことに傷ましき悲劇。吾々としては巌正に然も同情を以てこの点柳子新論を弁析すると共に、今日の問題として深思すべきであらう。……国民生活の安定を目的とする場合、革命も亦仁となすと説くもの。特に与民同志を放伐論是認の根拠となす点、民本思想があらはである。正名第一の章の結びに於て、「若能有憂民之心。名其不可正乎。」と述べし理由が、今こそ肯かれる。これ明らかに支那思想であり、直接には、安民を「先王の道」と解した徂徠学の影響であらうが、かゝる考は、明治維新の志士によつて、根柢的に批判せられた。その代表的な例として、吾々は平野国臣の「大體辯」をあぐることができる。「我 皇国は君臣の大義を主とし、利民を次とすれども、万世不易、千古一統の 君ゆへ、万民親服し、列聖亦た憐を垂れ、上下能く和合して相恨みす、利を利とせざれども、大義の和にて自ら民を利するの実にもかなへり。」然もかゝる考へ方は明治維新の成就するや問もなく忘れ去られ、今日に於ては再び安民が革新の最後の目標として諭ぜられてゐる。猛省すべき危険がそこにある〉
岡倉天心の言葉
「アジアは一つである。ヒマラヤ山脈は、二つの強大な文明、すなわち、孔子の共同社会主義をもつ中国文明と、ヴェーダの個人主義をもつインド文明とを、ただ強調するためにのみ分っている。しかし、この雪をいただく障壁さえも、究極普遍的なるものを求める愛の広いひろがりを、一瞬たりとも断ち切ることはできないのである。そして、この愛こそは、すべてのアジア民族に共通の思想的遣伝であり、かれらをして世界のすべての大宗教を生み出すことを得させ、また、特殊に留意し、人生の目的ではなくして手段をさがし出すことを好む地中海やバルト海沿岸の諸民族からかれらを区別するところのものである」(富原芳彰訳/『東洋の理想』) 続きを読む 岡倉天心の言葉
岡倉天心の日本精神(1) 『東洋の理想』
東洋の宗教的価値を称揚した岡倉天心は、慈悲・寛容の精神とともに調和の精神を重視した。そんな天心は、神道・日本精神についてどう語っていたのか。
天心の著作の中の神道・日本精神を紹介しておきたい。まず、『東洋の理想』からである(翻訳は村岡博訳『東邦の理想』による)。
1 | 「歴史の曙光と共に大和民族は、戦に勇猛に、平和の文芸に温雅に、天孫降臨と印度神話の伝説を吹き込まれてゐて、詩歌を愛好し、婦人に対して非常な敬虔の念を懐いてゐる、こぢんまりした民族として現れてゐる」 | 32頁 |
2 | 「印度のトーラン[鳥居に似た仏寺の儀式用門]を多分に想起させる鳥居や玉垣のある清浄無垢な祖先崇拝の神聖な社である伊勢の大廟及び出雲の大社はその原型の侭に二十年毎に若さを新たにして、簡素な調和美しく、太古の姿をその侭に保存せられてゐる」 | 34頁 |
3 | 「我が民族的誇と有機的統一軆といふ盤石は、亜細亜文明の二大極地より打寄する強大な波涛を物ともせず千古揺ぎなきものである。国民精神は未だ嘗て圧倒せられたることなく、模倣が自由な創作力に取つて代つたことも決してなかつたのである。我々の蒙つた影響が如何に強大なものであつても、常に之を受入れて再び適用するに十分有り余る程の精気を備えてゐた」 | 35頁 続きを読む 岡倉天心の日本精神(1) 『東洋の理想』 |