蒲生君平は『山陵志』全二巻を板刻した際、サブタイトルに九志の一、九志の二と明記していた。彼は『神祇志』『山陵志』『姓族志』『職官志』『服章志』『礼儀志』『民志』『刑志』『兵志』の「九志」編纂を目指していたのである。しかし、『山陵志』と『職官志』の刊行にこぎつけたものの、残り七志を完成させることなく、文化10(1813)年に亡くなった。
安藤秀男氏は次のように解説している。
〈各志の関係を説いて、およそ国の礼は祭よりも大なるものはない。歴代天皇が、その誠敬を尽されたところも、ここにあるのだと、先ず「神祇志」を挙げる。また、神祇の祭礼に次いでは、御歴代の山陵が尊崇されなければならないと、『山陵志』を挙げる。次いで、神を祭り、祖先を祀るにも、氏族、あるいは家ごとに行なわれるが故に、氏族の系譜を知らなければならないと、「姓族志」を挙げる。そして、氏族制度と並んで、秩序を正しく維持するためには、官職の変遷を知らなければならないと、『職官志』を挙げる。さらに、職官には其れに相応した服章がなければならないと、「服章志」を挙げ、さらに、位に応じて守るべき形式のほかに、人間相互のあいだにも、必ず守らなければならない約束があると、「礼儀志」を挙げる。さらに、治められるもの、すなわち人民の上について、その生活の様式を知らなければならないと、「民志」を挙げる。さらに、人民を治めるには、礼とあわせて刑をもってしなければならないと、「用志」を挙げ、最後に、人民は礼と刑とをもって治め得ても、外国に対しては軍備がなければならないと、「兵志」を挙げている。
こうして見ると、「九志」というものには、首尾一貫した一つの思想体系のあることがわかる。それは、儒学の精神に立脚したところの政治の理想、聖人の道、王道とでもいうべきものである〉