「頼 山陽」カテゴリーアーカイブ

大日本殉国会

「外部ノ物質的援助ヲ仰ガズ」

 華々しい活躍はしなかったものの、無私に徹した運動を志していた維新団体として知られているのが、大日本殉国会である。
大正15年2月11日、古着屋を営んでいた増井潤一郎が旗揚げした団体である。増井は新潟県高田の出身で、小学校の教師をしていた父から武士的教育を受けるとともに、漢学を仕込まれて成長した。増井の脳裏には、父から教えられた『日本外史』をはじめとする著書に示された楠一族の殉国物語が深く沁み込んでいた(荒原朴水『大右翼史 増補版』大日本一誠会出版局、1974年、100頁)。 続きを読む 大日本殉国会

頼山陽関連文献


書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
渡部昇一   渡部昇一の古代史入門 頼山陽「日本楽府」を読む PHP研究所 2006年11月  
見延典子 頼山陽にピアス 南々社 2004.11  
衣笠安喜 思想史と文化史の間―東アジア・日本・京都 ぺりかん社 2004.07   続きを読む 頼山陽関連文献

頼山陽の思想

一君万民の理想

頼山陽肖像画(福山誠之館同窓会蔵)
http://www.ccv.ne.jp/home/raisanyo/jinbutu.htmより 一君万民の理想的統治を求めた頼山陽(1780~1832年)の著作は、王政復古の精神を鼓舞し、維新の大業を成就する大きな力となった。司馬遼太郎は、山陽の『日本外史』について、「この一書が幕末を動かしたとさえ言いたくなるほどである」と述べている(『この国のかたち』1、文芸春秋)。
 安藤英男氏は、山陽が「一君万民の平等思想を根底とし、天皇親政下の郡県制度を理想の政治形態とした」と書いている(安藤英男『頼山陽日本外史』近藤出版社、1982年(頼山陽選集 6)、3頁)。 続きを読む 頼山陽の思想