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王師会─青年将校の義憤

藤井斉が同志を糾合

 王師会は、海軍の王師会が昭和3年3月に海軍部内の青年士官中の同志を集めて組織した。藤井は、海軍兵学校在学中に休暇等を利用して、大学寮に出入りしていた大川周明、満川亀太郎、安岡正篤、西田税らと接触し、国家改造の必要性を痛感するようになっていた。 続きを読む 王師会─青年将校の義憤

トゥラニズム関連文献

書籍

 

著者 画像 書名 出版社 出版年 備考
イ・ヨンスク 「ことば」という幻影 明石書店 2009年1月 第5章「『狭義の日本人』と『広義の日本人』─山路愛山『日本人民史』をめぐって」で愛山のトゥラニズムに言及
海野弘 陰謀と幻想の大アジア 平凡社 2005年9月 第2章「ウラル・アルタイ民族」でトゥラニズムに言及
太田 龍 縄文日本文明一万五千年史序論 日本文芸社 1995年3月
山路愛山著 山路平四郎校注 基督教評論・日本人民史 岩波書店 1966 『日本人民史』で「チュラニアン」(トゥラン)に言及。 続きを読む トゥラニズム関連文献

イスラーム先駆者 田中逸平

イスラーム先駆者

中国人ムスリムと田中逸平
 田中逸平の名は、大正13年にイスラームの聖地マッカ(メッカ)への巡礼を敢行し、さらに死の直前に2回目の巡礼を果たしたことで知られる。田中の思想と行動の重要性は、興亜論発展の一環としてイスラームの真髄を理解しようとした点にある。 続きを読む イスラーム先駆者 田中逸平

中野常太郎と亜細亜義会


 中野常太郎(号は天心)は、明治期に日本の興亜陣営とムスリムの連帯を主導した人物である。慶応2(1866)年10月23日、加賀金沢で生まれた中野は少壮のときから東亜経綸に志し、興亜の先駆者・荒尾精、根津一の門に出入りした。黒龍会にも参加したとされる(サルジュク・エセンベル「日露戦争と日土関係」)。
明治42年にトルコ系タタール人、アブデュルレシト・イブラヒムが来日すると、中野は大原武慶とともにムスリムと興亜陣営の連携を推進する。 続きを読む 中野常太郎と亜細亜義会

浦敬一の興亜

亜細亜人民たるものの大義
 浦敬一は、荒尾精の興亜論を受け継ぎ、果敢に行動した。対ロシア政策に必要な情報を収集するため、新疆方面の状況調査を企て、明治22(1889)年9月単独で伊犂探検に出た。だが、彼はまもなく消息を絶った。
彼が残した書簡には、その思想がはっきりと示されている。例えば、明治18年6月16日に父に宛てた書簡には次のように書かれている。
「乍併東洋の大勢は是より平和に相成る事には中々無之、仏は已に安南を横領し、英は又々朝鮮の巨文島を占奪し、露は頻りに支那朝鮮を窺ひ、独も亦同じく支那朝鮮に手を出さんと存居候由なれば、東洋の危急は日を逐ふて相迫り候。東洋の危急は支那朝鮮のみにあらず、我国の形勢は最も危急に相成居申候。…… 続きを読む 浦敬一の興亜

赤報隊関連文献


雑誌論文・記事

著者 タイトル 雑誌名 巻・号 発行日
特集カラー “偽官軍事件”の残映 相楽総三と赤報隊の軌跡 (特集 幕末維新未解決事件の真相)   歴史読本 46(8) (通号 740) 2001.08
北島 平一郎 朝韓中の抗日と大日本帝国の瓦解(6)駁逆の明治維新–相楽赤報隊誅略 大阪経済法科大学法学論集 通号 44 1999.07
亀掛川 博正 草莽諸隊の大問題–赤報隊はなぜ処刑されたのか? (シリーズ歴読専科-12-歴史を逆転する日本史の大問題) — (定説無し!日本史の難問・奇問・疑問–特集ワイドテーマ篇) 歴史読本 44(8) (通号 709) 1999.07 続きを読む 赤報隊関連文献

赤報隊

「赤心をもって国恩に報いる」

 赤報隊は、王政復古により官軍となった薩摩藩、長州藩を中心とする新政府の先鋒隊として、1868(慶応4)年1月8日に、近江国松尾山の金剛輪寺で結成された。隊長は相楽総三で、公家の綾小路俊実、滋野井公寿らを盟主として擁立された。隊の名前は、「赤心をもって国恩に報いる」から付けられた。
 赤報隊は信州へ進み、旧幕府に対して反発する民衆の支持を得た。その際、新政府の許可を得た上で、「年貢半減」を宣伝していた。ところが、新政府は「官軍之御印」を出さず、文書で証拠を残さないようにしていた。 続きを読む 赤報隊

水戸天狗党関連文献


関連書籍類

著者 書名 出版社 出版年 備考
野澤汎著、佐久間好雄監修 後裔が見た水戸藩騒動の事実 ぷらざ茨城 2004  
  筑波と天狗党 つくば市教育委員会社会教育課 2003 (筑波町史史料集筑波町史編纂委員会編 第2篇)
村山岩夫 夜明け前 : 主役になれなかった群像 : 天誅組と長州・水戸天狗党 近代文芸社 2003   続きを読む 水戸天狗党関連文献