天野信景『塩尻』の中の尾張氏

天野信景『塩尻』(帝国書院、明治40年)

 尾張藩国体思想の発展を支えた天野信景は随筆『塩尻』において、尾張氏について言及していた。

 例えば、「尾張氏は天孫火明尊(ほあかりのみこと)の御子天香山命(あめのかぐやまのみこと)の後胤小豊命(おとよのみこと)の裔也。朝家に仕へて尾張の国造となれり。且代々熱田の祠を奉す。孝徳天皇御宇尾張宿禰忠命御神を今の宮所にうつし奉る」と書いている。また、尾張連については以下のように書いている。

 「尾張連は天香山命の孫小豊命の子建稲種命より出、旧事記及び姓氏録に詳也。亦甚目連公(はだめのむらじのきみ)と同じ流れにや。清和帝貞観六年六月八日尾張国海部の人治部少輔従六位の上、甚目連公宗氏尾張の医師従六位上、甚目連公冬雄等同族十六人に姓を高尾張の宿禰と賜はりしよし。三代実録九に見えたり」

 ちなみに、愛知県あま市には甚目寺がある。その東門前に漆部神社が鎮座している。同神社の祭神である三見宿祢命は漆部連の祖であり、『旧事本紀』天孫本紀によると、宇摩志麻治命の四世孫で、出雲醜大臣命の子。甚目連公もまたその一族とされる。

Please follow and like us:

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください