「維新と興亜」カテゴリーアーカイブ

新亜細亜文化の建設を夢見た歌人・村田光烈

 秋田県出身の歌人として知られた村田光烈(むらた・みつたか)は、大東亜戦争勃発の翌昭和十七年十二月に『新亜細亜の誕生』を出版、新亜細亜文明を構想した。

彼の思想は、日本国体に哲人政治の理想体現を見て、独自の興亜論を唱えた鹿子木員信の思想から影響を受けていた。また、亜細亜の精神的、宗教的価値を称揚した岡倉天心の思想にも通ずる。以下に掲げる『新亜細亜の誕生』の一章「新亜細亜文化の建設」は、そうした村田の思想を最も良く示している。

〈人類文化の揺籃と世界宗教の淵源とを尋ぬる時、そは我が亜細亜を措いて外にない。かの世界最古の文化と呼ばるゝメソポタミヤ乃至古代印度の文化等、欧羅巴文明に先立つこと数千年の往昔に於て、亜細亜には既に卓越せる文化が存在して居り、又世界の三大宗教たる仏教、キリスト教、回教の発祥地も亦実に亜細亜に属する。而して暴戻なる近代資本主義的欧羅巴の征服するところとなつた亜細亜は、今に於てたとへ昔日の栄光を見出すべくもないとは云へ、而も亜細亜独自の高貴な姿に於て、今猶其光芒の搖曳するものあるを看取すること出来るので、我が亜細亜こそ凡そ精神的なる意味に於ての一切の高貴と偉大の源泉であり、釈迦、キリスト、マホメット等の宗教的天才は実に亜細亜の上代に於て此世に出現し、又印度、波斯等の多種多様なる民譚も東洋精神の衷なる魂の力を物語つて居るもので、民話に於ても亦亜細亜は世界の母である。 続きを読む 新亜細亜文化の建設を夢見た歌人・村田光烈

デジタルライブラリーで読める世界紅卍会関連書籍

内田良平『満蒙の独立と世界紅卍字会の活動』先進社、昭和6年
末光高義『支那の秘密結社と慈善結社』満洲評論社、昭和7年
皇道大本本部『皇道大本事務便覧』天声社、昭和8年
興亜宗教協会編『世界紅卍字会道院の実態』興亜宗教協会、昭和16年
橘樸他著『道教と神話伝説 : 中国の民間信仰』改造社、昭和23年

星条旗の下の祖国を拒否した男─アルテミオ・リカルテ

以下、『アジア英雄伝』に収録した、フィリピンの志士アルテミオ・リカルテの評伝です。


「星条旗の下には帰らぬ」
フィリピンの志士アルテミオ・リカルテは、長期間日本に潜伏し、普遍的思想としての皇道を深く理解し、独自のフィリピン国家像を描いた人物であった。その壮絶な反米闘争は、急進的政治結社のカティプーナンの精神を実現しようという姿勢で貫かれていた。
リカルテは、一八六六年一〇月二〇日、ルソン島最北端のバタックで生まれた。父エステバンは、義侠心に富み、親分肌の人で、常に公益のために私財を投じ、近隣の人々から厚い信望を集めていた。母は敬虔なカトリック教徒で、朝夕厳粛な祈りを捧げることを日課としていた。両親ともに、教育には極めて熱心であった(太田兼四郎『鬼哭』フィリピン協会、一九七二年、八頁)。リカルテは、一八八四年サン・ファン・デ・レスラン学院に入学、その五年後には文学士の学位を取得して卒業、ただちに名門校サント・トーマス大学に入学、一八九〇年に卒業している。
当時、独立運動の先駆者ホセ・リサールに刺激された有能な青年たちはスペイン留学を望んだが、リカルテはスペインに留学することは結局植民地主義者によって洗脳されることになると信じて祖国に止まり、一生を民族主義教育に捧げる決心をした。こうして彼は、カビテ州のサンフランシスコ・デ・マラボンの小中学校の校長になった。 続きを読む 星条旗の下の祖国を拒否した男─アルテミオ・リカルテ

東亜同文書院大旅行

荒尾精の興亜の精神を引き継いだ近衛篤麿は、興亜のための人材養成という使命に邁進した。明治32年10月、彼は清国を訪れ、清朝体制内での穏健改革を目指す洋務派官僚、劉坤一と会談、東亜同文会の主旨を説明した上で、南京に学校を設立する構想があるので便宜を図ってほしいと要請した。劉坤一は「できるだけの便宜を供与する」と快諾した。こうして、翌明治33年5月、南京同文書院が設立され、荒尾の盟友、根津一が院長に就任した。ところが、北清事変のため同年8月に上海に引き上げなければならなかった。当初は騒乱が収まり次第南京に復帰する予定であったが、根津が抱いていた大規模学院計画を実現することになり、明治34年5月、上海の城外高昌廟桂墅里に東亜同文書院が開校された。以来、終戦までの45年間に約5000名の日中学生が書院で学ぶことになる。 続きを読む 東亜同文書院大旅行

内田良平関連書

著者 書籍写真 書名 副書名 出版社 出版年
内田良平研究会編著 国士内田良平 その思想と行動 展転社 2003年
内田良平編 朝鮮統治問題に就て先輩並に知友各位に訴ふ 復刻版 龍渓書舎 1996年 (韓国併合史研究資料 ; 19)
内田良平文書研究会編 内田良平関係文書 第1巻 – 第11巻 芙蓉書房出版 1994年
内田良平文書研究会編 内田良平関係文書付録 第1巻第6号 亜細亜時論 芙蓉書房出版 1994年
内田良平文書研究会編集・解題 黒龍会関係資料集 復刻版 1 – 10 柏書房 1992年 (日本国家主義運動資料集成 ; 第1期) 続きを読む 内田良平関連書

東洋学館規約緒言

我東方アジア州を振興するの説は夙に世に起り、邦内すでに興亜会の設けあり、吾輩もかつて茲に慨すること久し、因て今同志の諸士と相謀り、此館を海外に設立す、けだしその趣意たるや大いに東洋の衰運を挽回して以て泰西諸邦と衡を世界に争い遠く威光を洋外に発揚するにあり、吾輩切に国を愛し世を憂うるのあまりあえてその偉業を以て自ら任じ、しこうしてこの趣意を達せんと欲す、必ずや東洋諸国親和して以て輔車相依り唇歯相保つの大要を失うべからず、今其事に従うやまず清国の世態民情に達し学術言語に通ずること尤も当務の急にして今日東西諸国交通の密接なる兼ねて泰西諸邦の学術を究め言語を学ばざるべからず、しかるのち交際の親以て修むべく通商の道以て講ずべき也、それ我嶋国は東洋の隅に孤立し清国は広くアジア大陸を占めその大勢の傾くところ我にして壹に能く独りこれを免るるを得べけんや、その交渉の重かつ密なることそれかくのごとし、然るに独り怪む、方今外交の要を論じ海外に留学せんとする者はみだりに欧米を説き、清国にいたりては相知らざる者のごとし、これ吾輩がこの挙を企つる所以なり、彼の上海は東洋要路の津にして船舶の幅較する所財貨の堆積する所たり、少壮の子弟はよろしくその才を長じ智を試むべきの好地にしてかつ我国と岸を隔つる遠きにあらずI葦航すべきの便あり、江湖同志の諸君はそれ幸いに吾輩の微志を賛成し来り学べよ

川面凡児の禊行を体験

 古神道の大家、川面凡児の禊行を体験するため、筆者は2010年6月6日早朝、東京都練馬区にある稜威会本部道場を訪れた。
川面が谷中三崎町に「大日本世界教・稜威会」を設立したのは、明治39年春。「信仰を統一し、解釈を統一し、実行を統一し、世道を解頽を救ひ、人身の腐敗を救ひ、以つて個人を統一し、家庭を統一し、国家を統一し、世界宇宙を統一し、各自按分平等の自由幸福平和を獲得せしめん」とその目的を掲げた。本部は大正12年に大久保に移転し、川面没後の昭和17年に現在の練馬区関町へ移った。禊祓道場が新築落成されたのは、平成3年である。武蔵関公園に隣接する敷地は、豊かな自然に恵まれ、修行に相応しい場所だ。 続きを読む 川面凡児の禊行を体験

皇道翼賛青年連盟

近衛新体制下の維新陣営の団結

穂積五一

三上卓先生は、近衛新体制運動が動き出す中で、昭和15年7月初旬、七生社の穂積五一らと日本主義陣営の横断的組織の結成に動き、同年8月16日 学士会館にて「翼賛体制建設青年連盟」(後に皇道翼賛青年連盟と決定)を結成することを決めた。 『葦牙─青春の軌跡』(昭和60年)によると、「翼賛体制建設青年連盟」は以下のような体制でスタートした。 続きを読む 皇道翼賛青年連盟

排日移民法関連文献

関連書籍類

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
チャオ埴原三鈴、中馬清福 「排日移民法」と闘った外交官 〔1920年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直〕 藤原書店 2011年12月
簑原俊洋 排日移民法と日米関係 : 「埴原書簡」の真相とその「重大なる結果」 岩波書店 2002年
三輪公忠編著 日米危機の起源と排日移民法 論創社 1997年
慶応義塾大学法学部政治学科玉井清研究会 排日移民法と日本のマスメディア 1996年 近代日本政治資料 4
高橋経 還らない日本人 : 偏見と差別に耐えた北米日本人移民100年史 黄禍篇 同時代社 1991年
粂井輝子 在米日本人移民にみる異文化接触の衝撃 : 排日運動との関連において 長野県短期期大学 1990年   続きを読む 排日移民法関連文献

大アジア協会

アメリカの排日移民法に対する反発が一気に高まる中で、大正13(1924)年7月10日、アジア民族策協議会の会合が政友ビルジング・ホールで開催され、この場で大アジア協会が発足した。当日の参加者には、大石正巳、岡崎国臣、小川平吉、上杉慎吉、秦豊助、岩崎勲、井上敬之助、田中善立らが参加していた。

当日決まった大アジア規約は以下の通り。

第1条 本会は大アジア協会と称す
第2条 本会は大アジアの発達を図り以て世界の平和と全人類の福祉に貢献することを目的とす
第3条 本会は総本部を東京におき本部または支部をアジア各地におく
第4条 本会は発起人及び賛成人を以て組織す
第5条 本会は世話役並びに相談役を以て会務を進行す
第6条 本会は必要に応じ顧問、嘱託、講師をおくことを得
第7条 本会の経費は会費及び寄付金を以てこれに充て、会計年度を4月1日より翌年3月31日までと定む
会計に関する事務は世話役これを取扱ふ
第8条 本会は春秋2期に定期大会を開き必要に応じ臨時大会を開く

(『報知新聞』1924年7月11日付)。