「ムハンマド・アブドゥフ」カテゴリーアーカイブ

アジア覚醒の先駆者・アブドゥフ②

アフガーニーとともに

アフガーニー

アブドゥフのアフガーニー宛て書簡
 アブドゥフは、ナイル・デルタのファッラーヒーン(農民)の家に生まれ、アズハル在学中からジャマール・アッ=ディーン・アル=アフガーニー(Jamal al-Din al-Afghani/1838~1897年)に師事している。
アフガーニーは、パン=イスラミズム(イスラームの団結)の思想家・行動家として知られる。彼は、イスラームが知的頽廃や専制支配などによって本来の活力を失っていると考えたのだ。だから彼は、各地の専制支配を排除し、ムスリムが連帯して活力を回復しようとした。
アブドゥフは、アフガーニーを偉大なる師と呼び、アフガーニーの顔写真を肌身話さず持ち歩くほど傾倒していた。1884年には、パリでアフガーニーとともに雑誌『固き絆』を創刊している。 続きを読む アジア覚醒の先駆者・アブドゥフ②

アジア覚醒の先駆者・アブドゥフ①

イスラーム改革派

 ムハンマド・アブドゥフ(Muhammad Abduh/1849-1905)は、イスラームに基盤をおいた独自の近代化路線の先駆者と位置づけられる。
西洋的近代化路線への追従を拒否し、クルアーン(コーラン)の柔軟解釈によるイスラームによる独自の近代化を主張する点で、ムスリムの覚醒にとって彼の思想ほど貴重なものはないといっても言い過ぎではないかもしれない。
その思想は、世界のムスリムに脈々と受け継がれている。それは、東南アジアにも生きているようにみえる。筆者は、「WAWASAN2020」に象徴されるマハティール首相の近代化路線を、「アブドゥフの企ての再現・発展として理解したい」と書いたことがある(『アジア復権の希望マハティール』)。
「西欧への盲従」と「中世イスラームへの盲従」をともに退け、また「支配エリートのイスラームにたいする疑念」と「一般ムスリムの近代文明にたいする疑念」の両方を解消すべく努力したと評価されている(飯塚正人「ナショナリズムと復興運動」山内昌之、大塚和夫編『イスラームを学ぶ人のために』(世界思想社、1993年)、93-94ページ)。 続きを読む アジア覚醒の先駆者・アブドゥフ①