孫文訪問時の様子を再現
熊本県荒尾市にある「宮崎兄弟資料館」には、宮崎兄弟に関する貴重な資料が展示されている。宮崎兄弟の父政賢は天性の自由を愛し、名利を憎み、母佐喜は「畳の上に死するは男子何よりの恥辱」と教えたという。こうした父母の教育が、「自由民権に散った天性の革命児」八郎、「土地復権を生涯の使命とした哲人」民蔵、「理想の国を中国革命にみた思想家」彌蔵、「孫文を助け、革命に挺身した侠の人」滔天(以上、資料館紹介)という、いずれも高い志を持ち、それぞれ個性にあふれた人物を生んだ。
孫文訪問時の様子を再現
熊本県荒尾市にある「宮崎兄弟資料館」には、宮崎兄弟に関する貴重な資料が展示されている。宮崎兄弟の父政賢は天性の自由を愛し、名利を憎み、母佐喜は「畳の上に死するは男子何よりの恥辱」と教えたという。こうした父母の教育が、「自由民権に散った天性の革命児」八郎、「土地復権を生涯の使命とした哲人」民蔵、「理想の国を中国革命にみた思想家」彌蔵、「孫文を助け、革命に挺身した侠の人」滔天(以上、資料館紹介)という、いずれも高い志を持ち、それぞれ個性にあふれた人物を生んだ。
書籍
著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版年 | 備考 |
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長谷川雄一、今津敏晃、クリストファー・スピルマン編 | 満川亀太郎書簡集―北一輝・大川周明・西田税らの書簡 | 論創社 | 2012/07 | ||
満川亀太郎著、長谷川雄一、福家崇洋クリストファー・スピルマン編 | 満川亀太郎日記―大正八年‐昭和十一年 | 論創社 | 2010/12 | ||
満川 亀太郎 | ユダヤ禍の迷妄 | 書肆心水 | 2007/05 | ||
満川亀太郎著、長谷川雄一編・解説 | 三国干渉以後 | 論創社 | 2004 | (論創叢書 4) | |
拓殖大学創立百年史編纂室編 下 | 滿川龜太郎 : 地域・地球事情の啓蒙者 | 拓殖大学 | 2001 | ||
拓殖大学創立百年史編纂室編 上 | 滿川龜太郎 : 地域・地球事情の啓蒙者 | 拓殖大学 | 2001 | ||
満川亀太郎著 | 三国干渉以後 | 伝統と現代社 | 1977 | ||
満川亀太郎著 | 三国干渉以後 | 平凡社 | 1935 | 続きを読む 満川亀太郎関連文献 |
古神道の大家、川面凡児の禊行を体験するため、筆者は2010年6月6日早朝、東京都練馬区にある稜威会本部道場を訪れた。 川面が谷中三崎町に「大日本世界教・稜威会」を設立したのは、明治39年春。「信仰を統一し、解釈を統一し、実行を統一し、世道を解頽を救ひ、人身の腐敗を救ひ、以つて個人を統一し、家庭を統一し、国家を統一し、世界宇宙を統一し、各自按分平等の自由幸福平和を獲得せしめん」とその目的を掲げた。本部は大正12年に大久保に移転し、川面没後の昭和17年に現在の練馬区関町へ移った。禊祓道場が新築落成されたのは、平成3年である。武蔵関公園に隣接する敷地は、豊かな自然に恵まれ、修行に相応しい場所だ。 続きを読む 川面凡児の禊行を体験 |
橋本増吉(1880~1956年)は、明治13年6月12日に長崎県で生まれ、東京帝大を卒業。慶應大教授を経て、東洋大学長に就いた。古代日中関係、中国古代の天文・暦法の研究で業績を残した。
書籍
著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版年 | 備考 |
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橋本増吉 | 邪馬臺国論考 3 | 平凡社 | 1997 | (東洋文庫 620) | |
橋本増吉 | 邪馬臺国論考 2 | 平凡社 | 1997 | (東洋文庫 616) | |
橋本増吉 | 邪馬臺国論考 1 | 平凡社 | 1997 | (東洋文庫 613) | |
池内宏、矢野仁一、橋本増吉、浜田耕作 | 東洋歴史大辞典 縮刷復刻版 | 臨川書店 | 1986 | ||
橋本増吉 | 支那古代暦法史研究 | 東洋書林 | 1982 | 続きを読む 橋本増吉関連文献 |
タイトル | 号 | 発行日 | 分類 |
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コミンテルン並に蘇聯邦の対支政策に関する基本資料 | 第1号 | 1939.1 | |
中国共産党最近の活動状況 | 第2号 | 1939.11 | |
コミンテルン並に中国共産党の三民主義批判に関する資料 | 第3号 | 1939.11 | |
基督教徒ノ活動 | 第4号 | 1939.9 | |
蘇聯の支那辺疆侵略 | 第5号 | 1939 | 政治篇 続きを読む 興亜院政務部刊『興亜資料』 |
書籍
著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版年 | 備考 |
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李廷江編著 | 近衛篤麿と清末要人 : 近衛篤麿宛来簡集成 | 原書房 | 2004年4月 | 明治百年史叢書 456 | |
山本茂樹 | 近衞篤麿 : その明治国家観とアジア観 | ミネルヴァ書房 | 2001年4月 | MINERVA日本史ライブラリー 10 | |
工藤武重 | 近衛篤麿公 | 大空社 | 1997年5月 | ||
近衛篤麿著、近衛篤麿日記刊行会編 | 近衛篤麿日記 別巻 | 鹿島研究所出版会 | 1969年 | ||
近衛篤麿著、近衛篤麿日記刊行会編 | 近衛篤麿日記 第5巻 明治35-36年及び書類・書簡総目録 | 鹿島研究所出版会 | 1969年 | 続きを読む 近衛篤麿関連文献 |
近衛新体制下の維新陣営の団結
三上卓先生は、近衛新体制運動が動き出す中で、昭和15年7月初旬、七生社の穂積五一らと日本主義陣営の横断的組織の結成に動き、同年8月16日 学士会館にて「翼賛体制建設青年連盟」(後に皇道翼賛青年連盟と決定)を結成することを決めた。 『葦牙─青春の軌跡』(昭和60年)によると、「翼賛体制建設青年連盟」は以下のような体制でスタートした。 続きを読む 皇道翼賛青年連盟
書籍
著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版年 | 備考 |
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吉野内聖一郎 | 宇宙の流れに乗る生き方 続・数霊の法則 | 知道出版 | 2013年4月 | ||
テレサ・ムーリー著、服部由美翻訳 | 数秘術バイブル | 産調出版 | 2013年1月 | GAIA BOOKS | |
七沢賢治 | 2020年「新世界システム実現」のための 言霊設計学 言霊・数霊・音霊・形霊による自己と世界の設計/《日本語族》の時代が始まります(超☆どきどき) | ヒカルランド | 2012年10月 | ||
はせくらみゆき、深田剛史 | 数は宇宙言語だった! 宇宙一切を動かす「数霊」の超メッセージ(超☆はぴはぴ) | ヒカルランド | 2012年9月 | ||
深田剛史 | 数霊 時空間日和 | 今日の話題社 | 2011年10月 | ||
吉野内聖一郎 | 潜在意識を変える数霊(かずたま)の法則 | 知道出版 | 2011年3月 | ||
川形壽隆著、荒井倫太朗編 | サトルエネルギーの視点・言霊と数霊の暗号解読・2012年地球のアセンション〈次元上昇〉とアレルギー解消法 | ABC出版 | 2009年11月 | ||
伊泉龍一、斎木サヤカ | 数秘術完全マスターガイド ナンバーで運命を切り拓く モダン・ヌメロロジー14のレッスン | 駒草出版 | 2009年8月 | ||
深田剛史、はせくら みゆき | 数霊に秘められた宇宙の叡智―かずたま占い | 徳間書店 | 2009年3月 | 5次元文庫 | |
深田剛史 | 数霊 弥栄三次元―祝諏訪大神建御名方刀美恵美須尊 | 今日の話題社 | 2009年2月 | ||
深田剛史 | 数霊 日之本開闢 新装版 | 今日の話題社 | 2008年5月 | ||
伊泉龍一、早田みず紀 | 数秘術の世界 Modern Numerology Lesson―あなたの人生を導く『数』の神秘 | 駒草出版 | 2006年7月 | ||
松田和也 | 新・数秘術入門―人生を磨く「数占い」 | 柏書房 | 2005年2月 | ||
キャロル・アドリエンヌ著、斎藤昌子 | 数秘術マスター・キット―あなたの魂に刻まれた情報を読み解く | ナチュラルスピリット | 2005年5月 | ||
松田和也 | 新・数秘術入門―人生を磨く「数占い」 | 柏書房 | 2005年2月 | ||
深田剛史 | 数霊 | たま出版 | 2003年 | 続きを読む 数霊・数秘術関連文献 |
関連書籍類
著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版年 | 備考 |
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チャオ埴原三鈴、中馬清福 | 「排日移民法」と闘った外交官 〔1920年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直〕 | 藤原書店 | 2011年12月 | ||
簑原俊洋 | 排日移民法と日米関係 : 「埴原書簡」の真相とその「重大なる結果」 | 岩波書店 | 2002年 | ||
三輪公忠編著 | 日米危機の起源と排日移民法 | 論創社 | 1997年 | ||
慶応義塾大学法学部政治学科玉井清研究会 | 排日移民法と日本のマスメディア | 1996年 | 近代日本政治資料 4 | ||
高橋経 | 還らない日本人 : 偏見と差別に耐えた北米日本人移民100年史 黄禍篇 | 同時代社 | 1991年 | ||
粂井輝子 | 在米日本人移民にみる異文化接触の衝撃 : 排日運動との関連において | 長野県短期期大学 | 1990年 | 続きを読む 排日移民法関連文献 |
元外務官僚の古川栄一は、『貿易と関税』、『世界週報』、『諸君!』等を舞台に、1990年にマハティール首相が提唱した東アジア経済会議(EAEC)構想を支持する言論活動を展開し、志半ばで斃れた。古川は、1953年外務省入省、在タイ大使館参事官を経て、国連アジア太平洋開発センター副所長を務め、1991年に日本国際戦略センターを設立した。
1997年12月に「ASEAN+日中韓」(ASEAN+3)首脳会議がクアラルンプールで開催された際の日本政府の混乱について、古川は次のように書いている。 続きを読む EAECを支持した古川栄一