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ワワサン2020─マレーシアの長期発展ビジョン

1991年2月28日にマレーシア・ビジネス協議会で行われたマハティール首相の講演「マレーシアの前途」

The purpose of this paper is to present before you some thoughts on the future course of our nation and how we should go about to attain our objective of developing Malaysia into an industrialised country. Also outlined are some measures that should be in place in the shorter term so that the foundations can be laid for the long journey towards that ultimate objective. 続きを読む ワワサン2020─マレーシアの長期発展ビジョン

アジア有数の知識人ノルディン・ソピー

 マレーシアの戦略国際問題研究所(ISIS)会長を務めたノルディン・ソピーは、アジアを代表する知識人の1人であった。マハティール首相(当時)のブレーンとして活躍しただけでなく、国際機関や国際的学術交流の場で提言の作成を主導するなど、世界的な活躍をしてきた。
 1967年に、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス修了後、同スクールで政治科学・国際関係学の博士号取得。マレーシアの有力英字紙「ニュー・ストレーツ・タイムズ」のグループ編集長などを経て、1984年からISIS所長。1997年3月には同研究所の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任、その後も世界的な活躍を続けてきたが、2005年12月29日、甲状腺がんのため死去した。享年61歳。
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ランカウイのペルダナ美術館

ギフトを国民と分かち合う
 1981年の就任以来、マハティール首相は確固たる外交路線を定め、意欲的に世界を飛び回ってきた。当然、外遊時にはマハティール夫妻に各国要人や関係者等から多くの記念品やギフトを贈られる。
 だが、マハティール首相はそうしたギフトが自分に贈られたのではなく、マレーシア国民に贈られたのだという認識を持っている。だからこそ、それらを個人の所有物にするのではなく、マレーシア国家のものとして国民と共有したいと願っているのである。こうしたマハティール夫妻の強い願いによって誕生したのが、ペルダナ美術館(Galeria Perdana)である。ペルダナ美術館のパンフレットには、「ギフトを人々と分かち合うために設立された」と謳われている。設置されたのは、マハティール首相ゆかりの地ランカウイ。
 2002年7月、筆者はペルダナ美術館を訪れた。モスク風の天井の美しいステンド・グラスが目を引く。美術館は現在2階建てで、総面積5332平方メートル。ゆっくり回れば約2時間はかかる。木製や皮革製の伝統工芸品、人形、織物、塗り物、毛皮、金・銀・銅・鉄・ピューター製の贈物などがきれいに陳列されている。外国からだけでなくマレーシア各州要人からのギフトも展示されており、その数は5000点を越える。

天皇陛下からの贈り物も
 中央アジア諸国からの毛皮の衣服や日本のよろい兜なども展示されている。ほとんどのギフトは、贈られた国と時期だけで、贈り主の表示はないが、いくつかには贈り主が表示されている。その中に、旭日大綬章に合わせ、1991年9月30日に天皇陛下から贈られた銀製の花瓶と写真立てがある。また、橋本首相(当時)が贈ったも木製の箱も展示されている。日本との関係では、三菱自動車工業のディアマンテのほか、いすゞやダイハツの自動車も展示されている。
 
 東アジア、イスラーム諸国、非同盟諸国重視というマハティール首相の外交路線を反映してか、首相の外遊先はアジア・アフリカが多い。そのため、贈り物もそれら地域からのものが多いという印象を受けた。日本、中国、韓国、東南アジアの周辺国、イランなどのイスラーム圏、ジンバブエなどのアフリカ諸国からの伝統工芸が多くを占める。まさに、ペルダナは、アジア・アフリカ伝統美術館とも呼びうるわけで、多くのマレーシア人学生も、アジア伝統文化にふれるために美術館を訪れる。美術館側はいずれ、国やテーマ別の特別展示なども企画したいとしている。
 また、美術館には、マハティール夫妻の若い頃の写真や肖像画も展示されており、入り口近くにはボールペンやTシャツなどの記念品を扱ったお土産屋もある。

マハティール前首相 イラク攻撃5周年メッセージ

Lest We Forget
The war in Iraq has entered its 6th year. It was supposed to be a war to stop Iraq’s Weapon of Mass Destruction. No WMD was found.

Then it became a war to remove Saddam Hussein and his dictatorship. Now Saddam has been eliminated, murdered by the regime that displaced him.

But is Iraq a better country now?

Is Iraq a safer country now?

Only a murderous man like Bush would shamelessly claim things are alright in Iraq. But the world knows that Iraq is now worse, very much worse than when it was under Saddam Hussein’s dictatorship. 続きを読む マハティール前首相 イラク攻撃5周年メッセージ

金玉均碑文(朴泳孝撰)訳

嗚呼、非常の才を抱き、非常の時に遇い、非常の功なく、非常の死あり、天の金公を生(いだ)すや是のごときのみや、磊落雋爽(らいらくしゅんそう)にして小節になずまず、善を見ること己れの如く、豪侠にして衆を容るるは公の性なり。魁傑、軒昂として、特立、独行、百折するも屈せず、千万[人といえども]かつ往くは公の気なり。神檀の国家を扶け、磐泰の安きを尊び、聖李の宗社を翼(たす)け、天壌の庥(きゅう)者に基(もと)いするは公の自任の志なり。公、朝に仕えて未だ始めて顕われず、君に得て未だ始めて専らにせず、然り、頑ななる奸戚が〔官職に〕任じ、締比して廷に盈(み)ち、偸(ぬす)みて恬嬉(平安を喜ぶ)に狃(な)れ、壅遏(ようあつ)(押へとめて)恣ままに弄あそび、愷切の言はまさに衆怒を招き、深遠の慮ばかりは反って羣疑を致し、内は而して政令多岐なれば生民愁苦し、外は而して隣交に道を失い、嘖説は紛至し、国、幾(ほと)んど自立する能わず、而して朝夕の憂いあり。慨然として奮決し、謀りて以て君側を清めんと欲し、開国四百九十三年、甲申の冬に至り、同志を糾[合]して、乗輿を慶祐宮に奉じ、朝廷の大事を処置し、三日を越えて上に扈(したが)い昌徳の闕に帰る。餘げつ、清将をそそのかして順を犯し、衆もて寡に相懸る、空拳、張闘するも勢い能く支えるなく、僅かに身を以て日本使館に投じ、因て海を渡り、閒関(ようやく)、命を為(をさ)む。羣奸、公を畏れること甚しく、かつ公に讐(あだ)せんとし、公の甘心を欲するは必せり、前後、刺客を遣わし、項背相望(頻繁)む。公、これを防ぐこと密かにして、かつ庇護の力を得ること甚しきに至り、終に售(讐)然たるを得ず。

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趙東一の東アジア文明論

 

ソウル大名誉教授の趙東一氏が東アジア文明論を提唱している。趙氏は近著『東アジア文明論』(知識産業社)において、東アジア文明に現れた儒教・仏教・道教の思考形態を説明し、各国の長所を生かして統合された東アジア学を形成していくべきだと説いた。
アテネ出身のソクラテスがギリシャ人になり、ヨーロッパ人を経て、世界人になったように、魯の国の出身だが、500年後には中国人に、さらに500年後には東アジア人となった孔子が、世界人となるよう、東アジア人が共に努力しなければならないと主張する。東アジアが、有力な世界人候補を、どこの国の人かという論議にこだわっているために東アジア文明が形成されずにいると指摘した(『朝鮮日報』2010年7月11日)。
日本国内では、趙氏の著作の翻訳『東アジア文学史比較論』が刊行されている。

山路愛山関連文献

書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
伊藤雄志   山路愛山とその同時代人たち―忘れられた日本・沖縄 丸善プラネット 2015年10月
山路愛山 源頼朝―時代代表日本英雄伝 平凡社 2008年2月 ワイド版東洋文庫 477
伊藤雄志 ナショナリズムと歴史論争―山路愛山とその時代 風間書房 2005年10月
山路愛山 現代金権史 文元社 2004年3月 教養ワイドコレクション
千葉俊二 坪内祐三 日本近代文学評論選 明治・大正篇史 岩波書店 2003.12 (岩波文庫)
山路愛山 基督教評論 日本図書センター 2003 (近代日本キリスト教名著選集 鈴木範久監修 第3期  キリスト教受容史篇 17)
徳冨蘆花、木下尚江他 徳冨蘆花・木下尚江 筑摩書房 2002.1 (明治の文学 第18巻)
藪禎子、吉田正信、出原隆俊校注 キリスト者評論集 岩波書店 2002 (新日本古典文学大系 佐竹昭広ほか編 明治編 26)
山路愛山 岩崎弥太郎 大空社 1998.11 (近代日本企業家伝叢書 4) 続きを読む 山路愛山関連文献

東亜同文書院大旅行

荒尾精の興亜の精神を引き継いだ近衛篤麿は、興亜のための人材養成という使命に邁進した。明治32年10月、彼は清国を訪れ、清朝体制内での穏健改革を目指す洋務派官僚、劉坤一と会談、東亜同文会の主旨を説明した上で、南京に学校を設立する構想があるので便宜を図ってほしいと要請した。劉坤一は「できるだけの便宜を供与する」と快諾した。こうして、翌明治33年5月、南京同文書院が設立され、荒尾の盟友、根津一が院長に就任した。ところが、北清事変のため同年8月に上海に引き上げなければならなかった。当初は騒乱が収まり次第南京に復帰する予定であったが、根津が抱いていた大規模学院計画を実現することになり、明治34年5月、上海の城外高昌廟桂墅里に東亜同文書院が開校された。以来、終戦までの45年間に約5000名の日中学生が書院で学ぶことになる。 続きを読む 東亜同文書院大旅行

田中正造関連文献

書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
田中正造著、由井正臣、小松裕編 田中正造文集 2 谷中の思想 岩波書店 2005年 (岩波文庫 ; 青(38)-107-2)
田中正造著、由井正臣、小松裕編 田中正造文集 1 鉱毒と政治 岩波書店 2004年 (岩波文庫 ; 青(38)-107-1)
布川了 田中正造と利根・渡良瀬の流れ : それぞれの東流・東遷史 随想舎 2004年
小松裕著、田中正造研究会編 足尾鉱毒事件と熊本 熊本出版文化会館 2004年
日向康 田中正造を追う : その”生”と周辺 岩波書店 2003年   続きを読む 田中正造関連文献