「維新と興亜」カテゴリーアーカイブ

人類文明創造へのアジア人の志─大東亜会議七十周年記念大会開催さる

 以下、『月刊日本』2013年12月号に掲載された記事とその英訳を転載します。

人類文明創造へのアジア人の志
 大東亜戦争下の昭和十八年十一月五日、六日の両日、東京で大東亜会議が開催された。東條英機総理、中華民国(南京)国民政府の汪兆銘行政院長、満州国の張景恵総理、フィリピンのホセ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ総理、タイのワンワイタヤーコーン親王、オブザーバーとして自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加し、列強の植民地支配を痛烈に批判した。
 それから七十年目を迎えた平成二十五年十一月六日、憲政記念館で「大東亜会議七十周年記念大会」が開催された。頭山興助氏と加瀬英明氏が開催実行委員会共同代表を務め、チャンドラ・ボースの兄の孫のスルヤ・ボース氏、元ニューヨークタイムス東京支社長のヘンリー・ストークス氏らが記念講演を行った。 続きを読む 人類文明創造へのアジア人の志─大東亜会議七十周年記念大会開催さる

大東亜共同宣言第五項と佐藤賢了

 大亜細亜協会で活躍した中谷武世は、昭和50年に刊行した『戦時議会史』(民族と政治社)の中で、「『大東亜会議』とその意義」に一章を割き、同会議の経過と歴史的意義について言及している。
そこには、大東亜共同宣言の起草者の一人である佐藤賢了(陸軍省軍務局長)の次のような回想が引かれている。
「大東亜共同宣言について、私がとくに述べたいことは、綱領の最後の項にある人種的差別観の撤廃である。初め草案を作成中、幹事補佐の間には、この項を挿入することに反対意見が強かった。その主旨は、第一次世界大戦後のパリ講和会議に、日本が人種的差別観の撤廃を持ち出して入れられなかったし、またこんどの戦争をどうかすると人種戦と化し、争いを深刻化することを恐れたからである。しかし私は、第一次世界大戦当時からの日本の主張は堂々と高唱すべきで、現に日本が大東亜各地で実行しつつあり、それが民心をつかんでいる大きな理由であると思っていた。人種差別の撤廃は理想でなく現実だ。これを高揚しない理由はないと考えた。連絡会議で重光外相が喜んで同意し、ほかにも異存がなかったので挿入された。戦後の今日、大東亜各地に親日感が残っている理由の大いなる一つは、この人種差別観の撤廃であると思う。これは米・英人など西欧人には容易にできない相談であると思う。米国のリトルロックにおけるあの烈しく、執拗な人種差別の争いがその好例であろう」

亜細亜義会関係資料①

 外務省外交史料館所蔵 亜細亜義会関係雑纂「明治43年12月1日から明治44年9月9日」には、亞細亞義会の設立主意、事業順序、会則、『大東』などがファイルされている。
(PDFデータは、アジア歴史資料センターのサイトからダウンロードしたDjVuデータをもとに作成したもの)

松本君平『アジア民族興亡史観』の目次

  

昭和18年に松本君平が刊行した『アジア民族興亡史観』(アジア青年社)の目次は以下の通り。

第一章 緖論
第二章 アジア病とは何か
第三章 アジア民族衰亡の跡に鑑よ
 一 葡萄牙人のアジ侵略(侵略の急先鋒)
 二 西班牙人のアジア侵略
 三 和蘭人のアジア侵略
 四 英人のアジア侵略
 (A) 全印度の経略
 (B) 緬甸の経略
 (C) 馬来半島及南洋諸島の経略
 五 仏人のアジア侵略
 六 露人のアジア侵略
 七 米人のアジア侵略
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川端福一『アジアの囚人 英国の印度侵略史』目次

 川端福一が昭和16年に刊行した『アジアの囚人 英国の印度侵略史』の目次は以下の通り。
 ・一 緖論
 ・二 印度航路の発見
 ・三 欧洲諸国人の印度進出
 ・四 英国制海権を握る
 ・五 東印度会社
 ・六 ブラシー戦争
 ・七 怪傑クライブの人為
 ・八 英国の印度併合
 ・九 英国のビルマ併呑
 ・一〇 印度搾取の跡
 ・一一 東印度会社の暴政
 ・一二 印度の飢饉
 ・一三 鐵道と潅漑
 ・一四 英国の残忍性
 ・一五 第一次欧洲大戦と印度

山下英次氏「東アジア共同体の建設を通じて、日本の真の意味での独立を実現していく」(『東アジア共同体白書2010』収録)

 2010年3月17日に開催された東アジア共同体に関する討論会での山下英次氏の発言が、たちばな出版から刊行された『東アジア共同体白書2010』に収められている。ここで山下氏は次のように語っている。
「アメリカとの関係というのは重要ですけれども、いつまでもいまのような日米関係を続けるべきかどうか、深く考えなければなりません。日米関係を絶対視し、それにしばられていると、いつまでたっても、日本人には、アジア地域統合の意味が分からないということになってしまいます。実際、ほとんど多くの日本人は、なぜアジア地域統合が必要なのか、まったく分かっていない。したがって、東アジア共同体評議会の文書で、目的をもう少しはっきり書く必要があるのではないでしょうか。…… 続きを読む 山下英次氏「東アジア共同体の建設を通じて、日本の真の意味での独立を実現していく」(『東アジア共同体白書2010』収録)

平野國臣『制蛮礎策』の興亜論

 平野國臣は、文久3(1863)年に著した『制蛮礎策』において、次のように興亜論を展開していた。
 「今夫れ宇内に未だ耶蘇を奉ぜざるは我と清とのみ。帝祚世革の相同じからざる有と雖も、地勢連隣風気粗を類す。髪眼異ならず。古来通信し固り道を同うするの国なれば、則ち相為に事を謀りて可なり」