「日本の真価」カテゴリーアーカイブ

黒住教関連文献

雑誌

著者 タイトル 雑誌名 巻・号 ページ 出版時期
中村 聡 初期黒住教と国学者をめぐっての一試論 國學院大學研究開発推進センター研究紀要 2 145-170 2008-03
杉島 威一郎 黒住宗忠の「道」と「黒住教」 芦屋大学論叢 44 112-95 2006-11-17
近藤啓吾 黒住宗忠翁と垂加神道 神道史研究 54(2) 148-159 2006-10
中村眞人 近代日本の形成と民衆宗教 : 教派神道「黒住教」の事例から 東京女子大学比較文化研究所紀要 67 1-15 2006
井ヶ田良治 近世後期における民衆宗教の伝播 : 丹後田辺牧野家領の黒住教 社会科学 76 31-52 2006 続きを読む 黒住教関連文献

垂加神道と黒住教

 いまこそ、伊勢神道、垂加神道の視点から黒住教の真髄を考察するときだと考える。それは、近藤啓吾先生が『神道史研究』(平成18年10月)に発表した「黒住宗忠翁と垂加神道」冒頭で、以下のように書いているからにほかならない。
 〈私はかねて黒住宗忠翁が門下に示された和歌や書簡に、「正直」といひ「日の神の御道」といひ「我が本心は天照大神の分身」であるといつて、かの山崎闇斎先生垂加神道によつて継承された古き伊勢神道の信仰が、脈々波打つてゐることを感取し、しかも翁のこの信仰がいづこより伝はり来りしかを考へてつひにその資を求め得ず、歎息すること久しかつた。 続きを読む 垂加神道と黒住教

東洋大教授・鎌田耕一氏の暴挙─大御宝を道具化することなかれ

 天皇の大御宝である労働者をまるで使い捨ての道具のように扱うことは、わが國體に適わない。ところが、飽くなき営利追求に走る大企業は労働者を道具として扱おうとしている。その動きを象徴するのが解雇規制の緩和であり、労働者派遣の完全自由化である。
 いま、東洋大教授の鎌田耕一氏を部会長とする「労働力受給制度部会」が、労働者派遣法の大改悪を目指して動いている。労働側の反対で年内の報告書とりまとめを断念したが、鎌田氏は平成26年早々のとりまとめを目指している。
 國體護持の立場から、保守派こそが「大御宝の道具化」反対の先頭に立つべきである。

    財閥富を誇れども 社稷を念ふ心なし

国学と水戸学の関係

 維新の原動力となった国学と水戸学。両者は対立しつつも、相互補完的な関係にあった。この論点に言及した、『月刊日本』平成26年1月号に掲載した「現在も続く直毘霊論争」の一部を紹介する。
 〈本居宣長は、強いて神の道を行おうとすると、かえって「神の御所為」に背くことになると主張していました。『玉勝間』においては、中国の古書はひたすら教誡だけをうるさく言うが、人は教えによって善くなるものではないと書いています。これに対して、水戸学の会沢正志斎は次のように批判しました。
 「仁政の要を知らざれば、人の上たること能はず、臣として君徳を輔佐すること能はず、義を知らざれば、元弘、延元の世の如きにも、去就を誤る類のものあり。礼を知らざれば君に事へ、人に交るに敬簡の宜を得ず、譲を教へざれば争心消せず、孝悌、忠信を教へざれば、父母に事へ、人と交て不情の事多し。多人の中には自然の善人もあれども、衆人は一様ならず、教は衆人を善に導く為に施す也」 続きを読む 国学と水戸学の関係

火葬に反対した奥八兵衛の抵抗運動

 天皇、皇后両陛下の「ご喪儀」の在り方を検討していた宮内庁は平成25年11月14日、葬法を火葬とすると発表したが、かつて奥八兵衛という人物が、火葬反対の運動を展開していた。物集高見著『日本の人』(国学院、明治32年7月)には次のように書かれている。
 「魚売八兵衛は京都の人なり。承応3(1654)年9月、後光明天皇崩御の聞ありて、御葬儀は、持統天皇以来の火葬の御式と聞えしかば、八兵衛、伝へ聞き手、大きに驚き、天皇は、御在世の間、常に旧典の廃れたるを嘆かせ給ひて、其復興をこそ思召したりしを、如何なれば、聖旨にもあらぬ火葬の御式を用ふるぞ、仮令、身は、魚売の賎民なるにもせよ、傍観して在るべきにあらずと、心を決して仙洞の庭に拝伏し、百司の門に跪き、日夜泣き叫びて哀願して止まざりしほどに、大方ならが、人心を感動して、遂に、朝議を一変して、埋葬の御式に依らしめたりといふ」
 明治40(1907)年5月、八兵衛に正五位が贈られている。

山県大弐の放伐肯定論に対する鳥巣通明先生の批判

 山県大弐『柳子新論』利害(第12)には、湯武放伐論を肯定した箇所があります。この問題について、『月刊日本』平成25年10月号(9月22日発売)で言及しましたが、『日本学叢書 第6巻 奉公心得書・柳子新論』(雄山閣、昭和14年)において、鳥巣通明先生が詳しく論じていますので関係箇所を引いておきます。
〈勿論、大弐の説くところは、幕府の存在を正当化せんが為めに御用学者によって唱道された放伐肯定と区別さるべきであり、彼が武家政治を否定し、主観的には皇政復古を目ざしたことも亦認めらるべきであるが、その革新の原理、立場は……不幸にも未だ儒学思想を完仝には脱却してゐなかつたのである。……政治の要諦として彼が「正名」を説き「得一」を主張し、「大体」を論ずるのは確かに傾聴すべき卓見である。然しながら、それは志向態度の正しさであつて、「正名」「得一」「大体」等が如何なる実質的主張内容をもつかは自ら別問題である。こゝに見る如く、柳子新論は、その点を検討することによつて破綻を暴露するかに思はれる。「其間忠義ヲ奮ヒ命ヲ殞シ節ニ赴ク者アリドモ、君臣ノ義ニ於テ錬達講磨スル所或ハ精シカラザレバ心私ナシトイヘドモ、義ニ悖リ忠ヲ失フ者皆是也」とは浅見絅斎先生の語であるが、(靖献遺言講義上)、心私なく、真摯国を憂へ、勇敢に時弊を解剖し、その革新に邁進した山県大弐は、君臣の義に於て錬達講磨するところ精しからざりしが故に、換言すれば、国史を云為しつゝも革新の原理を外国思想に求めしが故に、無意識の中に大いなる過誤を犯し、義に悖り忠を失つたものであらう。まことに傷ましき悲劇。吾々としては巌正に然も同情を以てこの点柳子新論を弁析すると共に、今日の問題として深思すべきであらう。……国民生活の安定を目的とする場合、革命も亦仁となすと説くもの。特に与民同志を放伐論是認の根拠となす点、民本思想があらはである。正名第一の章の結びに於て、「若能有憂民之心。名其不可正乎。」と述べし理由が、今こそ肯かれる。これ明らかに支那思想であり、直接には、安民を「先王の道」と解した徂徠学の影響であらうが、かゝる考は、明治維新の志士によつて、根柢的に批判せられた。その代表的な例として、吾々は平野国臣の「大體辯」をあぐることができる。「我 皇国は君臣の大義を主とし、利民を次とすれども、万世不易、千古一統の 君ゆへ、万民親服し、列聖亦た憐を垂れ、上下能く和合して相恨みす、利を利とせざれども、大義の和にて自ら民を利するの実にもかなへり。」然もかゝる考へ方は明治維新の成就するや問もなく忘れ去られ、今日に於ては再び安民が革新の最後の目標として諭ぜられてゐる。猛省すべき危険がそこにある〉

石井竜也「亜細亜の空」に込められた「亜細亜は一也」

 本日(2013年9月2日)は岡倉天心の没後100年の命日。映画「天心」完成披露試写会が東京藝術大学の奏楽堂で開催された。
15年ほど前に『岡倉天心の思想探訪』を出版したためか、御招待を受け、『月刊日本』の南丘喜八郎主幹、映画批評を連載していただいている奥山篤信先生とともに参加した。
天心を演じた竹中直人さん、主題歌を担当した石井竜也さん、監督の松村克弥さんらが舞台挨拶した。
映画の評価は専門家に任せるとして、主題歌について一言。実は、石井竜也さんの曾祖父は天心と親交があり、石井さん自身も、幼い頃から天心縁の地である五浦に遊びに行っていたという。天心とそんな深い縁のある石井さんが作ったのが、主題「亜細亜の空」。天心の「アジアは一つ」という言葉を広げられないかと思い、天心の思いを歌にした。石井さんは「アジアという大きな括りの中で、日本画壇を必死に守り抜いた岡倉天心という巨人がいた、ということを、映画をきっかけに、広く知ってほしいなと思います」とも語っていた。
「亜細亜の空」には「亜細亜は一つ」というフレーズも出てくる。「亜細亜の空」はアルバム「WHITE CANVAS」に収録されている。

若林強斎『自首』


2013年8月24日(土)、同志の折本龍則氏(『青年運動』編集委員、崎門学研究会代表)と、近藤啓吾先生のお宅にお邪魔しました。その際頂戴したのが、若林強斎『自首』のコピーです。
自 首
不孝第一之子若林自牧進居、
亡父ニ事ヘ奉養不届之至、
慚悔無身所措候。然ル身
ヲ以、先生ノ号ヲ汚スコト、何ンノ面目ゾヤ。
明日 亡父忌日タルニ因テ、自今
日先生ノ偽号ヲ脱シ候。何レモ必
不孝之刑人ト卑シク御
アイシラヒ被成可被下候。已上
享保十七年壬子正月八日丙寅
過廬陵文山
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吉田神道と垂加神道①

山崎闇斎は、神籬磐境の伝を吉川惟足から伝えられた。
しかし、惟足の伝に潜む問題点を看過しなかった。惟足の子従長が整理した『四重奥秘神籬磐境口授』(『神籬磐境口訣』)には、「君道ハ日ノ徳ヲ以テ心トス、日ノ徳ヲウシナフ時ハ、天命ニ違ヘリ、天命ニ違フ時ハ、其位ニ立ガタシ」と書かれていたのである。

これはまさに易姓革命に通ずる思想であり、『拘幽操』の精神に適うものではない。ここで闇斎が立ち止まり、「神籬は皇統守護の大道、磐境は堅固不壊の心法」との立場を固めたことは、歴史的な意味を持っている。近藤啓吾先生は、闇斎が惟足の限界を超えて、わが国の道義の本源への考究を進めたことに「闇斎の学問の面目があり、垂加神道の本義がある」と書いている。