「『水戸学で固めた男・渋沢栄一』」カテゴリーアーカイブ

坪内隆彦『水戸学で固めた男・渋沢栄一 大御心を拝して』書評(『史』令和4年3月号)

拙著『水戸学で固めた男・渋沢栄一 大御心を拝して』の書評を『史』令和4年3月号に掲載していただきました。
〈2021年の大河ドラマにもなった新一万円札の顔、渋沢栄一。彼にかぶせられたキャッチフレーズは「日本資本主義の父」。だがこの称号は渋沢の本質を表しているだろうか?『徳川慶喜公伝』に心血を注いだ渋沢はむしろ「水戸学で固めた男」ではなかったか? そして渋沢の経済活動は国民生活を安定させ、国家社会の利益を考えてのことであった。自己利益ばかり考える企業家を批判し生活保護法の実施に尽力するさまは、まさに経世済民の思想家としての渋沢像であり、それはいままで触れられてこなかった新しい渋沢像である〉
『水戸学で固めた男・渋沢栄一』書評 (『史』2022年3月号

『水戸学で固めた男・渋沢栄一 大御心を拝して』新刊紹介(『日本』令和4年2月号)

日本学協会発行の『日本』(令和4年2月号)「新刊紹介」で、拙著『水戸学で固めた男・渋沢栄一 大御心を拝して』(望楠書房)を取り上げていただきました。お書きいただいたのは、水戸史学会副会長で同誌編集長の仲田昭一先生です。
 「私共は、渋沢栄一の水戸学への心酔と『論語』を基にした幅広い活動に学ぶと共に、今日の政財界、教育界に在る者には、特に日本の美風回復に尽力することを期待したい。本書を推薦する所以である」と結んでいただきました。誠に有難うございます。
『日本』(令和4年2月号)

拙著『水戸学で固めた男・渋沢栄一』紹介(太田公士氏、令和3年10月29日)

 2024年に市中に出回る新一万円札の肖像に選ばれ、なおかつ本年の大河ドラマに取り上げられて、渋沢栄一氏への注目度が高まっている。私も強い関心を抱いて氏の『論語と算盤』、幸田露伴著の『渋沢栄一伝』、そして坪内隆彦さんが最近上梓された『大御心を拝して 水戸学で固めた男 渋沢栄一』の3冊を取り寄せて拝読した。
『論語と算盤』からは渋沢翁の生の息づかいを感じることができる。儒学に裏付けられた高い道徳感を胸に幕末から明治大正を駆け抜け、獅子奮迅の活躍で近代日本の発展、とりわけ経済事業・福祉事業に寄与した翁の倫理観と、それを実際の事業にどう生かしたかが手に取るように伝わってくる。今を生きる者の心の指針としても学ぶところが多い名著だと思う。
 『渋沢栄一伝』は翁の生涯を概括的に知る上では恰好の読み物だと思う。時代が動くその中で渋沢が、如何に時代に求められた働きをしたかがわかる。
 そして坪内隆彦さんの『大御心を拝して 水戸学で固めた男 渋沢栄一』は、渋沢栄一という巨人を貫く尊皇思想が、生涯を通して変わらなかったこと、いやむしろその思想を貫き、国に報恩の誠を捧げることこそが渋沢栄一の人生の眼目であったことを畳み込むように説き起こしている。本書を読む前に大河ドラマを見たり前2冊の書物を読んでいたので、これぞまさに渋沢栄一翁の核心に触れる論考だと膝を叩き、大いに共感した。
 「尊皇思想」と書いたが、その内実は水戸光圀(義公)によって創始された「水戸学」、そして水戸学につながる「日本陽明学」「日本心学」の系譜の中にあることは言うを俟たない。本書を通して渋沢栄一の「誠一筋」の人生に感銘を受けたばかりでなく、渋沢が徳川慶喜公の伝記を遺すために長い年月を費やし情熱を傾けたことにもいたく感動した。徳川慶喜は言うまでもなく徳川幕府を終わりにした最後の将軍であり、水戸学の尊皇思想を体現した人物であった。それが一時は朝敵の誹りを受けた。その主君の冤罪を雪ぐために渋沢栄一が尋常ならざる情熱を傾けた「徳川慶喜伝」。これほどまでに臣下から慕われた慶喜あらばこそ、維新の大業は成し遂げられ大政は奉還された。水戸学の「我が主君は天子なり」の尊皇思想が明治の扉を開いたのである。渋沢栄一が人生をかけ貫いた尊皇思想。そこから発する合本主義、愛民思想。私はここに明治を支えたエートスを感じた。まことに尊くも胸躍る喜びが湧き上がってくる。
 正しい国づくりには、その大本を支える哲学・指導原理が必要だ。しかも江戸から明治への変革は、日本があるべき国の基本的な姿を文字化して、欧米列強の中でアイデンティティを得て存立することへの模索の道のりだった。この時代の人々が命懸けで格闘したことの続きに大正・昭和があり平成・令和がある。
 著者、坪内隆彦氏はこう語る。
[近年、渋沢は「日本資本主義の父」と呼ばれることが多いが、渋沢自身は「資本主義」という言葉は用いず、「合本主義」という言葉を用いていた。「合本主義」とは、「公益を追求すると言う使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方」と定義される。このように常に公益を優先していた渋沢の資本主義は「公益資本主義」と呼ぶべきである。]
この一文に擬えて言えば、今日の資本主義社会の実態は「金権資本主義」「欲望資本主義」と言うべきものに成り下がっていると言えるだろう。経済活動はマネーゲームと化し、資本家の蓄財の道具、欲望満足の具に堕した。それがグローバル化の中で、ドス黒い暗雲となって世界を覆っているように見える。
 渋沢栄一翁が語りかける言葉に、もっと耳を澄まさなければならないと切に思う。
(FBより転載させていただきました)

国民福祉の父、渋沢栄一 『水戸学で固めた男・渋沢栄一』レビュー(愚泥氏、令和3年10月29日)

国民福祉の父、渋沢栄一
 渋沢栄一は「日本資本主義の父」として紹介される。しかしそれは正しいのか?というのが著者の問題意識だ。本書を読んで、むしろ「国民福祉の父」と称するのが正しいのではないだろうかという感想を持った。
 渋沢は日本的経営、つまり年功序列賃金の生みの親としても知られている。そして人民と苦楽を共にしたいという明治天皇の大御心を拝し、養育院の存続や救護法(生活保護)の実施に全霊を傾けた。
 その背景にあるのは渋沢が若い時から学んだ水戸学の精神だ。水戸学は尊皇攘夷を頑なに唱えた学問というイメージを現代人は持っているかもしれないが、水戸学には経世済民の精神の面も濃厚に持ち合わせている。そうした水戸学の愛民政治の側面を受け継いだのが渋沢だったのだ。

今まであまり描かれなかった渋沢栄一の側面 『水戸学で固めた男・渋沢栄一』レビュー(五十嵐智秋氏、令和3年11月14日)

今まであまり描かれなかった渋沢栄一の側面
 今年の大河ドラマ「青天を衝け」で取り上げられた渋沢栄一。「日本資本主義の父」や「商工会議所の設立に関わった」など、カネ儲けについてはよく知られているが、養育院の存続や救護法(生活保護法)実施など、福祉面での渋沢はあまり知られていない。また、その考えを支えた水戸学(幕末に徳川慶喜に仕えていた)への思いもまた知られていない。
 本書では渋沢を「水戸学で固めた男」とし、晩年の著作である『論語講義』などを紹介しながら、渋沢の思想を紐解いている。また、渋沢が幕末に仕えた最後の将軍である徳川慶喜についても、渋沢が関わった『徳川慶喜公伝』の刊行についても詳しく述べられている。明治期は謹慎していた徳川慶喜が渋沢という語り部を得たことは、後世の歴史家にとっても有意義であったと思う。

水戸学の入門書としても 『水戸学で固めた男・渋沢栄一』レビュー(さちひこ氏、令和3年10月20日)

水戸学の入門書としても
 Youtubeで著者の動画を見て、購入しました。
 2021年の大河ドラマによる「渋沢ブーム」の影響か、書店では渋沢栄一の『論語と算盤』の図解本や漫画本などをよく見かけるようになりましたが、渋沢の書いた原典、例えば『論語講義』や『青淵百話』にまで遡って手にとった人は、そう多くないのではないでしょうか。
 本書の著者は、直接『論語講義』や渋沢の講演集などにあたり、彼の思想がいかに水戸学に基づいたものであるかを明らかにされています。と言っても、私は正直水戸学にはあまりなじみが無いのですが、
本書の中で関連書籍が色々と紹介されているので、この本を取っかかりに水戸学についても少し調べてみたいと思います。
 B6版で120頁程の本ですが、内容はなかなか濃く、渋沢の思想と行動を、原点にまで遡って理解できるようになっています。
 『論語と算盤』が書かれた背景を知りたい、という方にはぜひおすすめしたいです。

「青天を衝け」第6話のあのシーンの意味 『水戸学で固めた男・渋沢栄一』レビュー(タコライス氏、令和3年10月18日)

「青天を衝け」第6話のあのシーンの意味
 3月21日に放送された「青天を衝け」第6話後半で、竹中直人演じる斉昭が慶喜と慶篤を相手に水戸藩の尊王論について厳かに語るシーンがとても印象に残っていました。本書を読んで、ようやくそのシーンの意味をよく理解することができました。慶喜は維新後に伊藤博文に次のように語ってたのですね。
 「水戸は義公の時代から皇室を尊ぶということをすべての基準にしてまいりました。私の父、斉昭も同様の志を貫いておりまして、常々の教えも、……水戸家はどんな状況になっても、朝廷に対して弓を引くようなことはしてはいけない。これは光圀公以来の代々受け継がれて来た教えであるから、絶対におろそかにしたり、忘れてはいけないものである」(訳)
 義公は「我が主君は天子也、今将軍は我が宗室也」(『桃源遺事』)との言葉を残し、やがて治紀(7代藩主)から斉昭に「何ほど将軍家理のある事なりとも、天子を敵と遊され候ては、不義の事なれば、我は将軍家に従ふことはあるまじ」(『武公遺事』)との言葉が残されました。
 水戸学を学んでいた渋沢はこの義公の遺訓が慶喜にいたるまで脈々と継承されたことに感動したからこそ、大政奉還の真意を理解して慶喜の名誉回復のために『慶喜公伝』編纂に心血を注いだのだということがよくわかりました。それほど渋沢は義公の遺訓を大事だと考えていたのですね。改めて慶喜の尊王心についても勉強する必要があると感じました。
 慶喜は大正2年に死去しましたが、追悼会で阪谷芳郎が述べた弔辞がまた感動的ですね。
 「19歳の時に一橋家を相続されましたが、その時に父上の烈公より、其方はこの度一橋家を継がれるが、いかなる考えを持たれるかという簡単な問を発せられた時に、慶喜公は答えて、いかなる事があっても弓を朝廷に彎きませぬと申し上げた、問も簡単であるが答も簡単であった。しかして真にいかなる場合といえども弓を朝廷に彎かぬという心をもって、ついに徳川家三百年の忠節を全うせられて、めでたく王政維新となって、今日の開国進取の政策を立るの道を開くに至った」

生活保護法も渋沢が実現させた?!『水戸学で固めた男・渋沢栄一』レビュー(れんぢらう氏、令和3年10月18日)

生活保護法も渋沢が実現させた?!
 渋沢栄一がアツイ。新しい一万円札の顔に決まった上、大河ドラマにもなったからだ。
 正直歴史好きであっても、渋沢自身についてはさほどの関心はなかった。ああ、あの松下幸之助みたいにおエライ実業家が明治の頃からいたのね。…その程度の認識しかない。
 ところが今回の大河では徳川慶喜が目立っている。草彅クン演じるところの最後の将軍。ほとんど主役を喰う勢いだ。もちろん慶喜はもう20年以上も昔に同じ大河でモックンが演じている。けれども最終回で大政奉還を描いたまでで、その後の人生については一筆書きで触れられた程度だ。
 渋沢が主人公ともなれば、明治以降の慶喜も見られる。そんな調子で近年の大河では珍しく毎回逃さぬように観てきたわけだが、とうぜん烈公・斉昭や藤田東湖も登場。そうなれば、水戸びいきとしては半永久保存版として記録媒体に落とすしかない。
 本書では、そんな渋沢栄一と水戸学との関わりがテーマ。そもそも水戸出身でも何でもない渋沢に、水戸学との接点はあったのか。いや接点なんていう生ぬるい話ではない。「水戸学で固めた男」ともなれば尋常ではない。
 慶喜公の伝記を渋沢が編纂したことくらいは知っていた。肝腎の『昔夢会筆記』はツンドクだが、実業家・渋沢と水戸学というのは、とても結びつくものではない。だいいち埼玉の深谷出身とあれば、水戸藩とは一切関係ない。主君の慶喜から情報を得たのか。いや、それより遥か以前から、渋沢は「深谷の吉田松陰」と呼ばれる人物から尊攘思想を学んでいたのだ。
 それがどんな人物であるか?それは本文に譲るとして、若き渋沢は、横浜で焼き討ち事件を謀るほどの筋金入りの尊攘派だったのだ。
そして、福祉事業家としての渋沢の姿。この時代の富裕層ともなれば、社会事業家として、慈善活動で名声を得ることはさほど珍しい話はない。しかし、当の渋沢にしてみれば、天皇陛下の〝大御心〟に応えたまでということになろう。
 明治末期、日露戦後の弛緩した空気の緊縮を図って戊申詔書が発せられたが、その数年後に「施療済世の勅語」が出されたことは、それほど知られていない。長年の条約改正の宿願を果たした日本は、漸く医薬品を入手することすらできな困窮した国民に救いを手をさしのべようとしたのである。早くから養育院院長も務めた渋沢は、「済世勅語」を拝したことで、いっそう貧民救済事業にも奔走したのだ。大正期に火災に見舞われた知的障害児の教育施設・滝之川学園の再建に尽力したのも渋沢である。
 91歳の病身を押してまで、生活困窮者の支援をめざした救護法成立をめざし、反対する政府関係者への説得にあたったのも最晩年の渋沢だった。
 実は水戸学にも義公以来、藤田幽谷・東湖、会沢正志斎を経て、烈公に到るまで、「蒼生安寧」という愛民の思想が継承されていた。渋沢の「合本主義」の根柢に、こうした水戸藩の経世済民思想が流れていた―だとすれば「尊王攘夷」だけでは決して括れない水戸学の新たな一面にも光を当てたことになろう。
 その他、本書では、頭山満や蓮沼門三らの愛国団体との意外な接点も掘り起こしている。
500もの企業の創設に関わったとされる渋沢だが、その後も日本では数多くの名経営者と呼ばれる事業家は登場している。しかしながら、今や多くの富裕層は私的な利益の追求が持てはやされ、まじめな経営者の方もおられるとは思うが、渋沢のいう合本主義とはほど遠い。
 新政権の登場で、漸く政府も重い腰をあげて、構造改革以来長年わが国を拘束してきた新自由主義路線を見直し、「成長と分配」が掲げられるようになった。しかしながら、リーマンショック以上の経済危機に見舞われる今日、日本の格差社会は渋沢の生きた時代以上に加速化しているようにも見える。
 今や「功利なき道義」と「道義なき功利」が蔓延。渋沢ブームの背後で、もはや合本主義という理念そのものが死語と化している。
本書を繙けば渋沢という人物が決して〝日本資本主義の父〟という見方では括れないことを知るだろう。