「青天を衝け」第6話のあのシーンの意味
3月21日に放送された「青天を衝け」第6話後半で、竹中直人演じる斉昭が慶喜と慶篤を相手に水戸藩の尊王論について厳かに語るシーンがとても印象に残っていました。本書を読んで、ようやくそのシーンの意味をよく理解することができました。慶喜は維新後に伊藤博文に次のように語ってたのですね。
「水戸は義公の時代から皇室を尊ぶということをすべての基準にしてまいりました。私の父、斉昭も同様の志を貫いておりまして、常々の教えも、……水戸家はどんな状況になっても、朝廷に対して弓を引くようなことはしてはいけない。これは光圀公以来の代々受け継がれて来た教えであるから、絶対におろそかにしたり、忘れてはいけないものである」(訳)
義公は「我が主君は天子也、今将軍は我が宗室也」(『桃源遺事』)との言葉を残し、やがて治紀(7代藩主)から斉昭に「何ほど将軍家理のある事なりとも、天子を敵と遊され候ては、不義の事なれば、我は将軍家に従ふことはあるまじ」(『武公遺事』)との言葉が残されました。
水戸学を学んでいた渋沢はこの義公の遺訓が慶喜にいたるまで脈々と継承されたことに感動したからこそ、大政奉還の真意を理解して慶喜の名誉回復のために『慶喜公伝』編纂に心血を注いだのだということがよくわかりました。それほど渋沢は義公の遺訓を大事だと考えていたのですね。改めて慶喜の尊王心についても勉強する必要があると感じました。
慶喜は大正2年に死去しましたが、追悼会で阪谷芳郎が述べた弔辞がまた感動的ですね。
「19歳の時に一橋家を相続されましたが、その時に父上の烈公より、其方はこの度一橋家を継がれるが、いかなる考えを持たれるかという簡単な問を発せられた時に、慶喜公は答えて、いかなる事があっても弓を朝廷に彎きませぬと申し上げた、問も簡単であるが答も簡単であった。しかして真にいかなる場合といえども弓を朝廷に彎かぬという心をもって、ついに徳川家三百年の忠節を全うせられて、めでたく王政維新となって、今日の開国進取の政策を立るの道を開くに至った」
「青天を衝け」第6話のあのシーンの意味 『水戸学で固めた男・渋沢栄一』レビュー(タコライス氏、令和3年10月18日)
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