拙著『水戸学で固めた男・渋沢栄一』紹介(太田公士氏、令和3年10月29日)

 2024年に市中に出回る新一万円札の肖像に選ばれ、なおかつ本年の大河ドラマに取り上げられて、渋沢栄一氏への注目度が高まっている。私も強い関心を抱いて氏の『論語と算盤』、幸田露伴著の『渋沢栄一伝』、そして坪内隆彦さんが最近上梓された『大御心を拝して 水戸学で固めた男 渋沢栄一』の3冊を取り寄せて拝読した。
『論語と算盤』からは渋沢翁の生の息づかいを感じることができる。儒学に裏付けられた高い道徳感を胸に幕末から明治大正を駆け抜け、獅子奮迅の活躍で近代日本の発展、とりわけ経済事業・福祉事業に寄与した翁の倫理観と、それを実際の事業にどう生かしたかが手に取るように伝わってくる。今を生きる者の心の指針としても学ぶところが多い名著だと思う。
 『渋沢栄一伝』は翁の生涯を概括的に知る上では恰好の読み物だと思う。時代が動くその中で渋沢が、如何に時代に求められた働きをしたかがわかる。
 そして坪内隆彦さんの『大御心を拝して 水戸学で固めた男 渋沢栄一』は、渋沢栄一という巨人を貫く尊皇思想が、生涯を通して変わらなかったこと、いやむしろその思想を貫き、国に報恩の誠を捧げることこそが渋沢栄一の人生の眼目であったことを畳み込むように説き起こしている。本書を読む前に大河ドラマを見たり前2冊の書物を読んでいたので、これぞまさに渋沢栄一翁の核心に触れる論考だと膝を叩き、大いに共感した。
 「尊皇思想」と書いたが、その内実は水戸光圀(義公)によって創始された「水戸学」、そして水戸学につながる「日本陽明学」「日本心学」の系譜の中にあることは言うを俟たない。本書を通して渋沢栄一の「誠一筋」の人生に感銘を受けたばかりでなく、渋沢が徳川慶喜公の伝記を遺すために長い年月を費やし情熱を傾けたことにもいたく感動した。徳川慶喜は言うまでもなく徳川幕府を終わりにした最後の将軍であり、水戸学の尊皇思想を体現した人物であった。それが一時は朝敵の誹りを受けた。その主君の冤罪を雪ぐために渋沢栄一が尋常ならざる情熱を傾けた「徳川慶喜伝」。これほどまでに臣下から慕われた慶喜あらばこそ、維新の大業は成し遂げられ大政は奉還された。水戸学の「我が主君は天子なり」の尊皇思想が明治の扉を開いたのである。渋沢栄一が人生をかけ貫いた尊皇思想。そこから発する合本主義、愛民思想。私はここに明治を支えたエートスを感じた。まことに尊くも胸躍る喜びが湧き上がってくる。
 正しい国づくりには、その大本を支える哲学・指導原理が必要だ。しかも江戸から明治への変革は、日本があるべき国の基本的な姿を文字化して、欧米列強の中でアイデンティティを得て存立することへの模索の道のりだった。この時代の人々が命懸けで格闘したことの続きに大正・昭和があり平成・令和がある。
 著者、坪内隆彦氏はこう語る。
[近年、渋沢は「日本資本主義の父」と呼ばれることが多いが、渋沢自身は「資本主義」という言葉は用いず、「合本主義」という言葉を用いていた。「合本主義」とは、「公益を追求すると言う使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方」と定義される。このように常に公益を優先していた渋沢の資本主義は「公益資本主義」と呼ぶべきである。]
この一文に擬えて言えば、今日の資本主義社会の実態は「金権資本主義」「欲望資本主義」と言うべきものに成り下がっていると言えるだろう。経済活動はマネーゲームと化し、資本家の蓄財の道具、欲望満足の具に堕した。それがグローバル化の中で、ドス黒い暗雲となって世界を覆っているように見える。
 渋沢栄一翁が語りかける言葉に、もっと耳を澄まさなければならないと切に思う。
(FBより転載させていただきました)


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