坪内隆彦 のすべての投稿

東南アジア料理論⑪

スパイス
スパイスの目的と歴史(11日目)
東南アジアにはスパイシーな食べ物が少なくない。ここでスパイシーというのは、単に辛いということだけでなく、文字通りスパイスをふんだんに使った料理という意味だ。
例えばインドネシアには、「ルンダン」という牛肉のココナッツ煮があるが、この料理には数種類のスパイスが欠かせない。「ソプブントット」というオックス・テールのスープには、コショウ、ショウガだけでなくナツメグ、メース、シナモン、クローブなどを用いる。 続きを読む 東南アジア料理論⑪

東南アジア料理論 ⑩

納豆
高まる「無塩発酵大豆」研究(10日目)
納豆は、昔から健康に良いといわれてきた。近年では、成人病予防やボケ防止など注目すべき効能が研究によって明らかにされている。この秘密は、納豆菌が作りだすネバネバに多く含まれるナットウキナーゼという成分にある。
心筋梗塞や脳卒中といった成人病は、血液中に必要以上にできた血栓(血液が凝固してゴミのように血管に詰まったもの)が原因。ナットウキナーゼには、その血栓を溶かす作用がある。  続きを読む 東南アジア料理論 ⑩

東南アジア料理論⑨

納豆
醗酵文化圏(9日目)
インドネシアだけでなく、東南アジアのあちこちに納豆は存在する。タイ北部には、トゥア・ナオという納豆がある。煮てやわらかくなった大豆を、大きな木の葉やバナナの葉を敷いた竹籠に入れて三日ほど置いて作る。そのままカレー風味のスープにいれて食べたり、トウガラシ粉と塩を混ぜて、バナナの葉に包んで蒸し、飯のおかずにする。薄い円盤状に成型して、天日乾燥をすると、数カ月保存することができる。これがナットウせんべいである。フィリピンにはタフレ(tahure)という納豆がある。  続きを読む 東南アジア料理論⑨

東南アジア料理論⑧

納豆
インドネシアのテンペ(8日目)
インドネシアには、チリメンジャコやラッカセイなどとともに細く切ったテンペを油で揚げたのち、香辛料などで佃煮風に炒めた「カレン・テンペ」という料理がある。 テンペというのは、大豆に糸状のテンペ菌を入れて発酵させたインドネシアの伝統的食品。ハイビスカスの葉などにいるテンペ菌の胞子を大豆にまぶし、バナナの葉に包んで、一~二日醗酵させるのだ。まさにインドネシア版納豆だ。  続きを読む 東南アジア料理論⑧

東南アジア料理論⑦

馴鮓
鮒ずしの危機(7日目)
食文化を維持するには、材料がなくては話にならない。
ところが、鮒ずしの材料ニゴロブナが、絶滅の危機に瀕している。ニゴロブナは、琵琶湖にしか生息しない魚で、体長二十―四十センチ。幅が厚いのが特徴だ。
骨が軟らかく、鮒特有の臭みが少ない。しかも、産卵期のメスは腹にぎっしり卵を抱えている。「鮒ずしにはこれ以外使えない」と、老舗専門店は口をそろえる。  続きを読む 東南アジア料理論⑦

東南アジア料理論⑥

馴鮓
日本の馴鮓(6日目)
では、馴鮓は日本にいかにして伝えられたのだろうか。
日比野光敏氏は、馴鮓は六世紀までに中国から北九州に伝えられたという。
平城京出土の木簡には、馴鮓の記録がある。一九八八年には、奈良市二条大路南一丁目の長屋王邸宅跡一帯から、十万点にのぼる木簡は相次いで発見され、奈良時代の暮らしぶりがかなり解明された。そこで、「長屋王はグルメ!」など注目された通り、当時の貴族たちが大変多彩な食生活をおくっていたがはっきりした。そのメニューの一つに、塩漬のカツオと塩味をつけた飯を交互に重ねて漬けた馴鮓もあった。  続きを読む 東南アジア料理論⑥

東南アジア料理論⑤

馴鮓
スシの起源(5日目)
「スシの起源は東南アジアにある」。そう書いたら、「えっ? スシは日本のオリジナルでしょ?」と即座に反論されるかもしれない。だが、日本のオリジナルはあくまで酢を使った現在のスシ。一六七三年(延宝年間)に四谷の医師、松本善甫が酢を使う「早ずし」を考案したことにはじまるとされているから、せいぜい三百年余の歴史しかない。江戸前のにぎりずしの発祥は江戸、文政年間(一八一八-三〇)のころだから、もっと歴史は浅い。  続きを読む 東南アジア料理論⑤

東南アジア料理論④

魚醤
キッコーマンとヤマモリ(4日目)
いまなお、魚醤の地位は不動だが、東南アジアの調味料志向に変化が起っていないわけではない。
醤油の需要もじわじわと拡大してきている。すでに、キッコーマンは一九八三年五月、アメリカ工場に続く第二の海外生産拠点をシンガポールに設立すると発表した。東南アジア市場への供給を強化するのが狙いだった。  続きを読む 東南アジア料理論④

東南アジア料理論③

魚醤
バゴオン(3日目)

 フィリピンには、カボチャ、オクラ、ニガウリ、ナスなどを使った独特の野菜炒め、ピナクベットがある。この味付けに欠かせないものが、バゴオン(Bagoong)という小魚やアミの塩辛だ。
魚やアミに大量の塩をまぶして貯蔵すると、魚の内臓の酵素で自家消化する。それをペースト状にしたのが塩辛である。前述した魚醤(油)は、この塩辛から染み出した液というわけである。

http://www.tribo.org/vegetables/bagoong.htmlより

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東南アジア料理論②

魚醤

しょっつる(2日目)
若い世代の日本人には、国内に魚醤があることを知らない人もいるかもしれない。
だが、秋田の「しょっつる」(塩魚汁)、石川の「いしる」、香川の「いかなご醤油」というように、魚醤は生き残っている。
魚醤は東南アジアから日本に伝わったが、室町時代には大豆から醤油が作られるようになった。それでも、戦後間もないころまで、かなりの量の魚醤が作られていたのである。醤油の拡大によって魚醤がごく限られた地域で、限られた量しか消費されなくなったのは、戦後のことだ。  続きを読む 東南アジア料理論②