「即ち是れ神人一貫の自覚であり、これを我が国家についていふならば、神代即人代といふことになつて、曾てその統中断なく、神代のままが今に連つてゐるを知られたのである。
しかし、明なる鏡もその明を保つためには常にその面にたまる埃塵を払拭しなければならず、いかなる名刀もその鋭利を保つためには常に手入れを怠ることができない。その道理にて先生は、この神与の心神も不断に省察を加へざれば忽ち欲望に覆はれる恐れがあり、そのために不断の反省修養を必要とすることと考へて、それが神道にいふ『祓』であるとせられた。ここに於いて先生の神道に於いては『日本書紀』の神代巻とともに『中臣祓』が重要なる依拠となつて来る」