近藤先生が『靖献遺言講義』解題で書かれている関係部分を引きます。
〈『靖献遺言』は貞享四年脱稿の直後に刊行されたが、その初印本は未だ見るを得ず、寓目の諸本はすべて改訂を経てゐるものであるが、そのうちにて最も早く刊せられたものは、美濃版三冊・青色表紙の無刊記本である。思ふに是れは絅斎の家蔵版であつて、後にその板木に「京師二條通衣棚・風月荘左衛門発行」の刊記を加へ、書肆風月堂より発売されたものが、茶色表紙の美濃版三冊本である。この本は元治年間にも補刻されてゐる(表表紙裏に「元治甲子補刻」「京師 三書堂」とあるが、刊記は元のまま)。また右とは別に美濃版半裁の中形本が、慶應元年に新刻され、明治二年、同十三年にも増刷されてをり、更に中形本をまた半裁した小形本が、銅版にて明治九年に版権免許になつてゐる(家蔵本はその明治十二年四月発行の四刻本である)。なほ明治四年には加藤勤の『靖献遺言訓蒙疏義』が新刻されてゐる。
以上のごとく、幕末より維新にかけていく度も本書が増刷せられ、しかも携帯に便利な中型本・小型本として刊行されてゐるといふことは、常時いかに広く本書が読まれたかを示すものである〉(後略)