郵政関係者に読まれている、いわゆる専門紙の「通信文化新報」に令和4年1月31日号から、「石原莞爾の理想を体現した男・木村武雄」の連載が始まったが、このたび、一冊の単行本としてまとめられた。本書の主人公、木村武雄という山形県米沢出身の政治家が、もう日本人の記憶から忘れられかけようとしている軍人の石原莞爾が主張した「王道アジア主義」を具体化する第一歩として、日中国交正常化を位置付けたことを詳細に後付けている。本年9月29日が日中国交回復50年の節目の年にあたり、しかも、米中がそれぞれ覇権を求めて激しい対立関係に陥り、日中関係では、中国が拡張独裁の帝国化したのは、日本が国交を正常化して、大々的に援助して経済発展を後押しして、それが、結局中国を軍事大国化させたのではないかとの批判がある。著者は、「王道アジア主義とは、覇道の原理でアジアに迫る欧米の勢力を排除し、王道の原理に基づいたアジアを建設することにある。王道とは道徳、仁徳による統治であり、覇道とは、武力、権力による統治だ。王道アジア主義の基本原則は「平等互恵の国家関係を結ぶ」「アジア人同士戦わず」である。」と定義している。日中国交正常化を、客観的に滔々と流れる歴史の時間軸のなかで検討して再評価する、日中関係史の必須の文献として時宜を得た出版となった。木村武雄は、中国側の交渉相手、廖承志と共に、日中国交正常化の実質的な裏方の役割を果たしたが、政治の世界では、裏方の「影武者」に徹したために、これまで見るべき評伝もなかった。一読すれば「かつては、このような立派な政治家がいたのか」との感懐を持つに違いない。
著者は、「王道アジア主義は、西郷南洲を源流として、宮島誠一郎、宮島大八、南部次郎、荒尾精、根津一、頭山満、葦津耕次郎というった人物に継承されていた。」と、明治以来の日中関係の歴史を概観する。日本と中国との外交に係る思想史の文献ともなっている。木村武雄が、大陸国家の中国とばかりではなく、潜在的海洋大国であるインドネシアのスハルト大統領との間にも深い信頼関係があったことにも驚かされる。現代日本の政治家のなかに、胸襟を開いて外国の政治指導者と電話一本かけられる関係をもつ政治家がちゃんといるだろうか、あるいは、クリスマスカードや年頭の挨拶状等を外国に100枚以上出している国会議員がいるだろうか、と心配する向きも出てこよう。
木村武雄の出身地の米沢では、「どんなに損をしようが、貧しい思いをしようが、自分の意志を頑なに貫き通すという一徹さを持った人のことを「そんぴん」という。もともと「損貧」と書いたらしい。」木村武雄は、名君、上杉鷹山公の生きざまも継承した人物のようだ。
本書全213ページの構成は、次のとおりである。まえがき、第一章 政治家・木村武雄の誕生、第二章 石原莞爾と東亜連盟、第三章 王道アジア主義の源流、第四章 執念の日中国交正常化、第五章 田中角栄失脚の真相ー王道アジア主義を取り戻せ、あとがき。