垂加神道は、宝剣伝に附随して「熱田之伝」を説いた。
尾張の国名と熱田社の土用殿とについて特殊の意義が込められているとの説である。『諸伝極秘之口授』には、以下のように書かれている。
「尾張ハモト宝剣ノ御鎮座ニヨツテ付タ。則尾張ハ尾ノ針ト云コト。熱田ハ夏田ノ訓、此剣ノ納テアル御殿ヲ土用ノ御殿ト云。コレハナゼニナレバ、金気ヲ克スルモノハ火、ソレデ火剋金ヲ恐レタモノ。土用ノ御殿トイテモ火生土、土生金ト土カラ生ジサセル様ニト云コト。夏ハ火、田ハ土ユヘ熱田ガ夏ノ土用ト云コトニナル。則夏越祓、アレガ夏カラ秋ヘウツル処ノ火剋金ヲヽソレテ、スガヌキノ輪ヲコシラヘテ南カラ中ヘハイリテ、ソシテ西ヘヌケル。コレガ火生土、土生金ノ行ヒ。ソレデ人デモ金気ノトロケタ時、リント敬ムト気ガ立テクル。兎角金気ハ土カラデナケレバヲコラヌ」
松本丘先生は、〈尾張の国号は大蛇の「尾ノ針」、即ち宝剣の鎮座に由来するものとし、それを奉祀する土用殿の語義も、五行説を用ゐつつ敬の根基となる金気に結び付けて解釈するものである〉と述べている。
素戔嗚尊の帰善と宝剣の出現の解釈同様に、熱田之伝にもまた吉川神道の影響が窺えるが、松本先生が指摘するように、垂加神道においては、土用殿についても素尊の敬に引きつけて説かれており、より倫理的傾向を強めている。