川上善兵衛著『武田範之伝―興亜前提史』において、滝沢誠は「武田範之における勤皇主義の前提」と題して、以下のように書いている。
「久留米藩勤皇派メンバーの第二世代の多くは、黒竜会の傘下に集まったが、その役割は、内田良平に見られるあの権謀術数のかぎりを尽した派手な行動の裏にあって、縁の下の力持ち的なものであった。真木和泉の甥で漢詩人の宮崎来城は、黒竜会の宣言・規約を執筆している。範之は敵を作ることの多い内田良平に代って、韓国側合邦運動当事者である一進会の担当者として、内田の意を十二分に体した裏面での行動に終始した」