明治42年にトルコ系タタール人、アブデュルレシト・イブラヒムが来日すると、中野は大原武慶とともにムスリムと興亜陣営の連携を推進する。 中野と大原によって、頭山満、河野廣中、犬養毅を紹介されたイブラヒムは、「ひとつ我々で結社を作り、兄弟の契りを結んではどうでしょうか」と呼びかけ、明治42年6月7日に「亜細亜義会」設立に至る。亜細亜義会は、中野を発行人・編集人として機関誌『大東』を刊行している。 |
その後中野は、奉天に移り、「大亜義会」の名称でムスリムを含む興亜陣営の連携運動を継続した。大正5年3月には時の首相大隈重信に対して書簡を送っている。この書簡は、早稲田大学図書館に保管されている。