坪内隆彦 のすべての投稿

『興亜運動と頭山満翁』

 『興亜運動と頭山満翁』は、興亜陣営の活動家、鈴木善一が、昭和17年に頭山の米寿を祝し、頭山から受けた教訓感銘を綴ったものである。鈴木は、明治36年に茨城県で生まれた。国士舘時代に親交を持ったのが、八幡博堂で、彼とは昭和4年5月に信州国民党を設立している。 続きを読む 『興亜運動と頭山満翁』

『東亜同文書院大旅行誌 第21巻 足跡』

 

『東亜同文書院大旅行誌 第21巻 足跡』第26期生(昭和5年)

若宮二郎、大久保英久、宮澤敝七、祖父川瀬徳男「白樺の口吻」

 想
 これは四人の男の、黒龍江の畔に、赤いロシアの山河を望みつゝ彷徨したあの想出の合作なのである。旅は人生の縮図とか。悦びも悲しみも、憂ひも不安も、総てを時の移りに委せて、村から村へ、站から駅へ、転々として漂泊ふ四名の男、猜疑の眼、露はなる排斥の中に、人種と言葉とを異にする国の奥地で、確と手と肩とを組み合せた我々が、危い足ごりで辿った足跡の回想である。 続きを読む 『東亜同文書院大旅行誌 第21巻 足跡』

村岡清蔵

青島地湧塾で日中提携を目指す

村岡清蔵は、明治42年に佐賀県で生まれた。大正13年、大連の旧制高等小学校を卒業し、翌14年に大連の日本山妙法寺において、得度仏門に入る。
彼が、前田虎雄と出会うのは、大正15年11月、栃木県那須の日本山妙法寺においてであった。以来、前田と行動をともにし、昭和8年の神兵隊事件に参加、投獄される。昭和10年秋に出獄した後、葦津耕次郎の教えを受けて、神道、国学思想に開眼、嗣子珍彦とも親交を持つようになる。
昭和15年1月、立正興亜塾を東京に開設、青年同志の養成に努めた。この年7月の七・五事件に参加し、再び投獄されている。翌昭和16年に出獄、昭和17年に中国に渡った。昭和18年青島地湧塾の塾長となり、熟生とともに日中間の真の提携を目指した。昭和19年には地湧塾の生徒たちとともに、済南に移転し、山東立志工業学校を創設し、中国人のみ500余名の育成に当たった。
昭和20年8月15日、終戦の大詔を拝聴して自決を決意し、久子夫人とともに自宅において自決した。

神兵隊事件─昭和皇道維新の断行

昭和皇道維新の断行

昭和8年7月の神兵隊事件は、斉藤実を首班とする内閣を妥当し、一挙に国家の現支配機構を破壊し、帝都を動乱化して戒厳令下に導き、大詔渙発を奏請して皇族を首班に推戴する臨時非常内閣を樹立し、これを中心に新政治機構を組織し、日本主義皇道を指導原理として帝国憲法をはじめ法律、政治、経済その他諸般の制度を根本的に改廃することを狙って行われようとしていた。その目的は、皇国本来の一君万民・祭政一致の天皇政治を擁立し、神武肇国の皇政に復古し、明治維新の追完たる昭和皇道維新を断行することであった。 続きを読む 神兵隊事件─昭和皇道維新の断行

敬天愛人運動の理想及び綱領

理 想
社會的自由と個人的自由の一致する全人類の健全なる有機的社會の創造を期す。
綱 領
一、天皇を政教の淵源とし維新の鴻謨を翼贊して其發展完成を期すること。
二、社會の單位を家族とし統治の單位を氏子中心とすること。
三、經濟と道徳の一致を求め土地或は職業を與へて一人の飢民なからしむること。 続きを読む 敬天愛人運動の理想及び綱領

鈴木梅四郎関連文献

書籍

 

著者 書名 出版社 出版年
田中省三 医療の社会化を実践した人物・鈴木梅四郎 医史研究会 1995年
鈴木梅四郎 嗚呼二月二十六日 慶應義塾福澤研究センター 1987年
小林静夫 王子製紙開業秘話 : 鈴木梅四郎小伝 苫小牧郷土文化研究会まめほん編集部 1982年 続きを読む 鈴木梅四郎関連文献

鈴木梅四郎の思想と行動

「医療の社会化」を志す

 鈴木梅四郎は、医療費の重圧から庶民を解放するために「医療の社会化」を目指した。その思想を支えていたのは、決して外来の社会主義思想ではない。鈴木の『医業国営論』復刻版の解題で、実費診療所第4代理事長の清水伸は、「著者は社会主義者ではなく、自由主義者の立場からこの結論に至った所に異色がある」と明記している。さらに言えば、彼の社会政策は皇道思想に支えられていたのではなかろうか。 続きを読む 鈴木梅四郎の思想と行動