承久の乱の結果、後鳥羽上皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡に配流となり、土御門上皇は自ら土佐にお遷りになった。平泉澄先生の『物語日本史 中』(講談社学術文庫、158-159頁)には、後鳥羽上皇と順徳上皇の歌が引かれている。
○後鳥羽上皇
ながらへて たとへば末に 帰るとも
憂きはこの世の 都なりけり
我こそは 新島守よ 隠岐の海の
荒き浪風 心して吹け
百千鳥(ももちどり) 囀(さえず)る空は かはらねど
我身の春は あらたまりつつ
古里を しのぶの軒に 風過ぎて
苔のたもとに にほふ橘
問はるるも うれしくも無し 此の海を
渡らぬ人の なけの情は
○順徳上皇
人ならぬ 岩木も更に 悲しきは
三つの小島の 秋の夕暮
かこつべき 野原の露の 虫の首も
我れより弱き 秋の夕ぐれ
むすびあへぬ 春の夢路の ほどなきに
いくたび花の 咲きて散るらむ
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