展転社から里見岸雄博士の『天皇とプロレタリア』が普及版として復刻された。『月刊日本』平成30年7月号に掲載した書評を紹介する。
〈安倍政権が推進する新自由主義とグローバリスムによって、ますます貧困と格差が拡大しつつある。ところが、いわゆる保守派の多くはこの問題に沈黙している。本書は、そうした保守派に対する鋭い批判の書として読むこともできる。
資本家の横暴に対する「無産階級」の反発が強まり、やがて昭和維新運動の台頭を迎える昭和4年に刊行された本書は、国体の真髄を理解しない為政者や「観念的国体論者」に強烈な批判を浴びせている。〉(後略)
「里見岸雄」カテゴリーアーカイブ
明治憲法は天皇主権?─里見岸雄博士『天皇法の研究』
明治憲法は天皇主権を規定していたと考えるべきか。里見岸雄博士は『天皇法の研究』において、次のように書いている。
〈帝国憲法は現代一般に天皇主権であったと解されているようである。殊に驚くのは曽て大正、昭和前期に於て、天皇機関説を支持した多くの学者が、掌をひるがへすが如くにして、旧憲法は天皇主権であったと言ふ一事である。しかしこれは時流に媚び、若しくは時流に便乗して矛を逆しまにしたものであって帝国憲法第四条の法理を無視すること甚しきものといはねばならぬ。第四条は厳として、「天皇ハ国ノ元首」と明言する。これは、天皇は国の元首であるが国そのものではないといふ意味で天皇即国家の否定である。又従って、当然の法理として、天皇は主権者でない。主権の所有者でないといふことである。「統治権ヲ総攬」の「統治権」は、「国ノ統治権」の意味である事明々白々である。帝国憲法の用語としての「統治権」は私の詳説した通り決して妥当なものではないが、論理的には明快であって何等紛更を許す余地がない。ここに言ふ「統治権」は「国権」或は「主権」の意味であり、その帰属は天皇に非ずして国であることは理在絶言である。「統治権」は国に属し、「総攬」は天皇に属する。統治権は統治権、総攬は総攬で別箇の概念と見るべきである。「国ノ統治権ヲ天皇ガ総攬」されるのである。なぜ総攬されるかと言えば、「国ノ統治権」は近代憲法の主義に則り、三権分立されてゐるからである。分立しただけでは対立である。国家意思としては、それが統合されてゐなければならぬ。かかる意思の統合は自然人によって表現されざるを得ない。自然人たる天皇に於てのみかかる表現は可能なのであって、それを此の憲法の条規によって行ふといふのが帝国憲法である。少しも天皇主権の法理は存在しない〉
書評─『新版 明治天皇』(『月刊日本』平成25年7月号)
本書旧版は、明治百年の記念すべき年に当たる昭和43年の紀元節(2月11日)に刊行された。里見岸雄が本書を書いた狙いは、明治天皇を深く掘り下げて、そのほとんど無尽蔵ともいうべき思想の宝庫の奥を探ることにあった。それは里見自身が書いている通り、学術論文ではなく、明治天皇の広大深遠な御恩の一塵一滴に報謝したいという気持ちで書かれたものである。それから45年、絶版となっていた本書が、新装復刊されたことには重要な意義がある。
里見は第4章「維新の精神」において、国体とは「日本人の生活組織体である日本国の本質を永遠に同一生命体として維持し且つ発展させようとする日本人の顕在的並びに潜在的意志に支えられて形成され又定礎された国家の内質実体を意味するもの」だと説き、さらに具体的には「皇位と皇統と皇道を要件とする天皇」ということになると言う。そして、第11章「明治天皇の思想と人格」において、次のように書いている。 続きを読む 書評─『新版 明治天皇』(『月刊日本』平成25年7月号)
里見岸雄『国体論史 上』読書ノート①
里見岸雄は『国体論史 上』において、近世の国体論を通観して次のように書いている。
「……江戸時代の国体論は、必ずしもひとり国学派にその発達の頂点を見るべきものではない。それは大体、江戸時代前期に於ける御用儒学中心の国体論、中期に於ける国学の拾頭、後期に於ける水戸学的実践と次第したものと思ふが、国学派と水戸学派とは、学問的方法論に於て対立し、或る意味では氷炭相容れざるが如き論難攻撃をすら相互に応酬したが、そして、水戸学の採用した儒教的方法が、国学派から曰はせれば、不純なものであり未だ真乎国体に徹せざるものとして斥けられはしたが、然かもその水戸学から、大義名分王覇の峻別は絶叫し出され、封建社会の矛盾の激化と伴うて革新的、戦闘的、実践的国体論が指頭し来り、幕末に到っては更に国際的新情勢の附加に伴ふ攘夷論と結びついて、つひに、国体論は、観念的信仰的陶酔、机上的書斎的学問から一躍、政治的、実践的性格を獲得して、維新の精神的推進力となったのである。 続きを読む 里見岸雄『国体論史 上』読書ノート①
書評 相澤宏明著『国体学への誘ひ』
以下は、『月刊日本』平成24年11月号に掲載した、相澤宏明著『国体学への誘ひ』の書評です。
【書評】 国体学への誘ひ
国体論発展史において、明治時代に田中智学が提唱し、智学の三男、里見岸雄(本誌平成二十三年六月号参照)が昭和初期に体系化した「科学的国体学」(国体科学)は極めて重要な位置を占める。
神懸的、信仰的国体論であっては広範な支持を得ることは難しく、国体擁護のためには、国体論に十分な科学性が無ければならないという里見の思いが、「科学的」という言葉に込められている。
昭和二年十二月、里見は「国体科学を提唱す」と題して、次のように国体科学を定義している。 続きを読む 書評 相澤宏明著『国体学への誘ひ』