本書旧版は、明治百年の記念すべき年に当たる昭和43年の紀元節(2月11日)に刊行された。里見岸雄が本書を書いた狙いは、明治天皇を深く掘り下げて、そのほとんど無尽蔵ともいうべき思想の宝庫の奥を探ることにあった。それは里見自身が書いている通り、学術論文ではなく、明治天皇の広大深遠な御恩の一塵一滴に報謝したいという気持ちで書かれたものである。それから45年、絶版となっていた本書が、新装復刊されたことには重要な意義がある。
里見は第4章「維新の精神」において、国体とは「日本人の生活組織体である日本国の本質を永遠に同一生命体として維持し且つ発展させようとする日本人の顕在的並びに潜在的意志に支えられて形成され又定礎された国家の内質実体を意味するもの」だと説き、さらに具体的には「皇位と皇統と皇道を要件とする天皇」ということになると言う。そして、第11章「明治天皇の思想と人格」において、次のように書いている。
〈明治天皇は記紀に載っている皇祖皇宗の御心をおつかみになり、その神の心を心とされた。従って明治天皇の国体に対する御信念は確乎不動であると共に、それは必ずしも日本だけの道ではない。その中には世界万国が必ず範とすべきものを含んでいるとの御確信は教育勅語にもあらわれている…〉
里見は、「一視同仁の大御心」に注目し、奈良朝時代の詔勅として、「民を愛児のように思う」(宣命)、「民を子育する」(桓武天皇)、「千里憂を分つ」(清和天皇)、「万民塗炭の苦しみにおちかけているのは仰いで祖宗に恥じ俯して万民に恥じる」(孝明天皇)」を挙げ、日本の天皇が常に国民を愛撫されるということが夥しい詔勅でわかると説き(223頁)、明治天皇における国民は、国の宝であったと書いている。この明治天皇の大御心は、その御製に明確に示されている。里見は、「あしはらの国富まさむとおもふにも青人草ぞたからなりける」、「千早ぶる神のひらきし道をまたひらくは人のちからなりけり」など、数多くの御製を紹介している。
第15章「崩御と世界の追悼」には、明治天皇崩御を報じた世界各国のメディアの記事訳文が収められている。ここにも、明治天皇の偉大な御治世と御人格を世界が称賛した事実が示されている。
では、明治天皇は、いかにして国体に対する御信念を培うことができたのであろうか。第7章「明治天皇の御研学」において、天皇の読書、学問は、単に知識欲に燃えての読書、趣味による学問の類とは異なり、「天皇の天皇たるゆえん」、言いかえれば国体にあったと説く(132頁)。また、同章に掲載された、明治二年以来の御講書始の一覧(書名と進講者)が示す通り、明治天皇の学問は極めて広範なものであった。
ただ、明治天皇に導かれた時代全体の評価となると、未だ容易に決着の着かない問題が残されている。富国強兵に象徴される近代化路線や対外政策に関する評価である。
この難問について、里見は独自の見解を示す。まず、里見は植民統治が「甚だ多くの非人道的要素を含むものであった」と述べた上で、明治天皇が明治三十年台湾総督乃木希典に対し下された勅語を引く。
「宜シク民情旧慣ヲ視察シ、撫恤ヲ加フヘシ。卿ヨク朕カ意ヲ体シ、官紀ヲ慎粛シ政綱ヲ簡明ニシ、以テ徳化ヲ宣揚スルコトヲ勉メヨ」
里見は、乃木が天皇の仰せを畏み拝して誤ることなきを期した人であったから、わが国による台湾統治は欧米諸国の植民政策とは異るものがあり、島民みな皇化に浴しその慶福を増進するところ、頗る大きかったと評価する。
だが、朝鮮統治についての里見の評価は決して甘くはない。「朝鮮の方は、天皇統治が徹底せず、徒らに欧米流の官僚的支配政治に堕した結果、不幸な事態となり終戦二十余年の今も尚その禍が糸を引いている」
さらに、里見は、明治天皇が「いつくしみあまねかりせば」とお考えになり、詔勅等で御指導になったのが、「日露戦の勝利に心騎った我国の官僚、軍人、これを支持する国民らがよってたかって統治を支配に顛落させたのは、顧みて遺憾に堪えないところといわねばならぬ」とはっきり書いている。
いま、わが国を取り巻く状況は厳しい。自主防衛体制強化を急ぐとともに、対外的な危機に目覚めねばならないが、夜郎自大な排外主義を排し、まず「徳化の宣揚」に努めるときなのではないか。
書評─『新版 明治天皇』(『月刊日本』平成25年7月号)
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