「月刊日本」編集長・坪内隆彦『維新と興亜に駆けた日本人』(展転社)を読む。本書は、『アジア英雄伝』に続く「反植民地・アジア独立論」の第二弾である。我々が忘れさせられたホンモノの思想家、革命家たちが、ここにいる。本書は、最近、珍しい危険な書、つまり革命的熱情を喚起する書である。
僕は、自分の優柔不断な、市民主義的な不甲斐なさを顧みもせず、いたずらに歴史に残る英雄豪傑を賛美し、その破天荒な生き方に酔い痴れるのは好きではない。昨日も「憂国忌」に出席してきたが、その種の話が少なくなかった。三島由紀夫や吉田松陰、西郷隆盛、あるいは大塩平八郎・・・を賛美することは容易なことである。ただ賛美すればいいのだから。自分は、それこそ小市民的なみみっちい生活を満喫しながら、理想や義に生き、若くして命を捨てたり、獄中に二、三十年を過ごさざるをえなかったような偉大な革命家や思想家たちを褒め称えるだけなら、炬燵で蜜柑を貪りながら韓流ドラマに酔い痴れるご婦人達とたいして違いはない。坪内隆彦の新著『維新とと興亜に駆けた日本人』も、「アジア独立」に命懸けて取り組んだ日本の英雄豪傑たちを取り上げている。一見すると、この本も、「高見の見物」的な視点からの凡庸、且つ無責任な「英雄豪傑賛美論」に見える。しかし、僕は、坪内隆彦が、どういう人物かということを知っている。坪内は、「炬燵で蜜柑を貪りながら韓流ドラマに酔い痴れるご婦人達・・・」の類ではない。僕は、坪内と初めて会った時、すぐにそのことを知った。坪内隆彦は、慶大法学部を卒業して日本経済新聞社に入社。順風満帆の人生である。しかし平成元年に退社。何故、日本経済新聞社を退社したのだろう。日本経済新聞の記者のまま、安定した生活を送りながら、『アジア英雄伝』から『維新と興亜に駆けた日本人』に続くようなテーマの取材執筆活動は可能だっただろう。しかし、坪内は、どのような事情があったにしろ、日本経済新聞社を退社し、フリーの道を選択している。むろん、これは、ささやかなことであるかもしれない。しかし、僕は、ここに坪内の「本気」を感得する。坪内は言論に生活と命を賭けたのだ。しかも、坪内は、詳しくは知らないがアジア系女性と結婚しているらしい。つまり、ここに一流の作家や批評家に通じるような「思想と生活の一体化」という首尾一貫した生き方を、僕は見出す。従って、前著『アジア英雄伝』以来、僕は、坪内が「月刊日本」に連載し続けてきたアジアや日本の革命家や思想家たちを描いた「英雄豪傑物語」を、単なる娯楽的な読み物としてではなく、著者・坪内隆彦の生活を賭けた戦いの記録として、つまり思想的に厳粛な気持ちで読むことが出来た。たとえば、前著で、僕は、「スカルノは、確立された国際秩序に真っ向から挑むアジアの英雄だった・・・」「このカリスマ性あるアジアのリーダーは、反植民地主義に命を賭けた。彼は欧米の反発を恐れず、妥協よりも対決を好んだ・・・」というスカルノの素顔を初めて知ったが、こう書く坪内の文体にも思想的営為にも、スカルノ的な「独立」と「対決」の気概を感得する。単なるアームチェアデクティブ的な英雄豪傑賛美論ではない。さて、新著では、西郷から副島種臣、大井憲太郎、頭山満、内田良平・・・まで、20人の「列強の植民地支配から脱しようとするアジアの民族独立運動・・・」を懸命に支援した日本人を取り上げている。むろん、本書は、20人の「維新と興亜に駆けた日本人」の 生涯や事績をフォローすることだけで尽きているわけではない。坪内は、「序論ー肇国の理想把握への道」で、何故、20人の日本人を取り上げたのかを思想的に総括しているが、ここの思想的総括が素晴らしい。したがって、まずこの「序論」を見てみよう。坪内は、これら20人の日本人たちが依拠した思想を国体思想として捉えている。その国体思想の基礎学問として、(一)国学、(二)陽明学、(三)崎門学、(四)水戸学、(五)古学(素行学)などを挙げている。さらにそれらに関連する基礎文献、ないしは必読書として『古事記』『日本書紀』『洗心洞箚記』『靖献遺言』『新論』『弘道館記述義』『日本外史』『中朝事実』などを挙げている。・・・(続く)
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