教学の中心的指導精神を神道に置いた北条氏長の兵学について、河野省三は『近世の国体論』(日本文化協会出版部、昭和十二年)で次のように書いている。
〈氏長の兵学が神道精神を中心として展開し来り、素行の兵学が國體観念に結合して所謂武士道としての学的体系を取つて進展し行くことは、日本精神発展史の上からも深く注意すべきことである。……有馬成甫氏の『北条氏長とその兵学』には、彼の行動を支配した精神の中心は天照大神の信仰であつて、深く神道に帰依して居つたことを明かにし、又吉田家の唯一神道に於いて重んじた三社託宣に対する尊信が其の日常行為に著はれ、後学松宮観山等の思想にも深い感化を与へたことを一言し、更に進んで、氏長の兵学に於ける特徴として、師伝を体系化したこと、其の本質が教学であること、其の教学の中心的指導精神を神道に置いたこと、その兵学が、実学であることの四点を挙げてをる。此の中で、特に注意すべき点は、氏長の教学としての兵学が、その中心的指導精神を神道に置いた点であつて、其の神道思想の中心が天照大神であることである。北条流の兵法三ケ条の大事として、人事の乙中甲伝、地理の分度伝、天理の大星伝といふことがあるが、大星伝といふのは、当時、兵家の問に尊重された心魂鍛錬の秘法である。氏長には『大星伝口訣』といふものがあるが、「兵家相承天理ノ大事大星ニ止レリ」といふ重要性を有するものであつて、「当流日本流」の立場から、大星を以て.日輪として天照大神に配し奉り、大神の分身たる自家の心魂に大光明を見出し、此に道徳の本体.武道の本源を定めようとする法である〉