〈私はかねて黒住宗忠翁が門下に示された和歌や書簡に、「正直」といひ「日の神の御道」といひ「我が本心は天照大神の分身」であるといつて、かの山崎闇斎先生垂加神道によつて継承された古き伊勢神道の信仰が、脈々波打つてゐることを感取し、しかも翁のこの信仰がいづこより伝はり来りしかを考へてつひにその資を求め得ず、歎息すること久しかつた。
しかし私は翁のこの信仰が、翁独りで突然体得されたものでなく、その家にその土地に、右のごとき伊勢の信仰が既に存して、それが土台となりこの信仰に開眼したと思はざるを得ない。そしてその機縁となつたものが、直接に伊勢神道、乃至垂加神道といふよりも、それを伝承する若林強斎先生の神道であつて、それがその門下を通じてこの地に伝へられ、翁の信仰を呼び起こしたものと、思ふのである。しかしこれを証するものは、その資料散逸して、見ることができぬ。されば右は飽くまで私個人の推定である。しかもこの確証なき推論を、敢へてここに公表したるは、若き人々がこの拙稿を土台としてこのことに調査を広くし、いつの日かそれを証する資を発見することを願つて巳まぬからである。幸ひ黒住家御当主黒住宗晴氏も、この発表前の拙稿を閲せられて、
「かつてある御方が、宗忠のことを最も日本人らしい日本人の一人と評されましたが、それは宗忠個人の徳、修行努力もさることながら、宗忠を生んだこの国日本の国柄・歴史・風土が秀れていればこそと愚考し、人様にも度々お話し申し上げてきたことであります。そういう折からこの度の玉稿だけに、格別有難く拝読しました。」
との読後評を頂いた。これは黒住氏が、この拙稿を公表することを許可されたものと考へ、ここに『神道史研究』への掲載をお願ひしたことである。〉