本来「大御宝」であるはずの労働者を、まるで自由に使い捨てできる道具にしようとする論議が活発になってきている。小泉政権時代に労働分野への新自由主義導入が加速したが、再び安倍政権はそれを再現しようとしているのか。
特に問題なのは、社員の首切り自由化論議だ。これは、一君万民を理想とする国体を踏みにじる暴挙ではないのか。以下、『愛媛新聞』社説(2013年03月19日)を紹介する。
解雇規制の緩和 「使い捨て論理」容認できない
金さえ払えば正社員を簡単に解雇できる―そんな規制緩和の議論が始まった。
安倍晋三首相が設置した産業競争力会議で、業績悪化など「合理的な理由」がなければ正社員を解雇できないと定めた労働契約法について、民間議員が「解雇しやすいルール」への変更を提言した。
企業が解雇する社員に「再就職支援金」を支払ったり、新たに別の20~40代の人を採用すれば解雇できるよう求めている。訴訟で解雇無効になっても、一定の金銭を払えば解雇できる「金銭解決」導入も図る。6月の成長戦略に反映させるというが、到底容認することはできない。
「解雇を簡単にできれば企業はもっと人を雇える」「成熟産業から成長産業へ『労働移動』しやすい」…。言い分は全くもって詭弁(きべん)であり、おためごかしと言うほかない。本音は、経営側の意のままに社員を辞めさせたいだけ。活性化するのは「政財界にとっての経済」のみで、雇用が増えたり、個々人の転職に資するとはとても思えない。
こんな改悪がまかり通れば今まで以上に一方的な、理不尽なリストラが横行するだろう。不当解雇も金銭で容認され、無効を承知で使用者が制度を悪用する懸念さえ出てくる。働く人を、単にコストや置き換え可能な数字としか見ず、雇用維持の責任を放棄したかのような経営者の「使い捨ての論理」は言語道断。撤回を、強く求めたい。
解雇ルールが初めて法制化されたのは2003年の改正労働基準法。当時の自民党小泉政権下で、雇用の流動化を促すことで雇用拡大につながるとうたわれた。かろうじて「客観的に合理的な理由を欠く場合は…解雇は無効」との歯止めがかけられ、「金銭解決」も導入されなかった。
それでもこの10年、労働市場に何が起きたかは明白。雇用拡大どころか、長引くデフレ不況に「改革」が追い打ちをかけ、失業率は高止まりし労働条件は悪化の一途。低賃金の非正規労働者は35%に達し、正社員の過労死や自殺も急増している。規制緩和でさらに雇用の不安定化が進めば「改革」の名の下に暮らしの根幹が脅かされる同じ過ちを再び、繰り返すことになる。
今必要なのは、待遇改善や格差是正、あるいは同じ仕事に同じ賃金を保障するなど、どんな働き方でも安心して働き続けられる環境の整備。雇用への助成や、就業支援の強化も国の責務だろう。
しかし、安倍政権下では雇用の安全網でもある生活保護水準の切り下げが進み、雇用維持に努める企業を支援する雇用調整助成金も縮小か廃止の方向。働く一人一人の痛みを切り捨てて、景気も社会も良くなるはずがない。そのことを忘れないでもらいたい。