ロゴスとパトスの統合、理性・言語と感情・イメージの統合を目指した思想家・三木清が見直されつつある。
アジア伝統社会の原理と西洋近代の自由主義、アジアの神秘的「知」と西洋近代の合理的「知」の対立を超えて、新しいアジア社会、新しいアジア的「知」を形成するための思想として、いまなお三木の思想から学ぶべき点が少なくないからである。中村雄二郎氏ら日本を代表する哲学者たちは、西田幾多郎とともに三木の問題意識に触発された部分が小さくない。
最近では、赤松常弘氏が『三木清―哲学的思索の軌跡』(ミネルヴァ書房)で、ロゴスとパトスを一体のものとして捉える三木の思想に注目している。
【三木清】(1897~1945)
哲学者。兵庫県生まれ。旧制龍野中学、旧制第一高等学校で学び、旧京都帝国大学(現・京都大)時代に西田幾多郎から大きな影響を受けた。ドイツへ留学、ハイデッガーの影響を受け、帰国後、法大教授。一時マルクス主義の研究に傾斜。第二次大戦末期、反戦容疑で逮捕され、敗戦後まもなく獄死。主著に「パスカルにおける人間の研究」「唯物史観と現代の意識」「哲学ノート」などがある。 三木清は「新日本の思想原理」において、こう書いていた。「東亜協同体の文化は単に封建的なものの復活であってはならず、新しい文化として創造されねばならないものである。それは確かに東洋文化の復興とも云ひ得るものであるけれども、この復興は、恰もギリシア・ローマの文化の復興といはれる西洋に於けるルネッサンスが決して単に古代的文化の復活であったのでなく却って実は全く新しい近代的文化の創造であったように、新しい東亜文化の創造を意味しなければならぬ」(酒井三郎『昭和研究会』)。

かつて筆者は、『アジア復権の希望 マハティール』の中で、アジアの有識者がまとめた「新アジアにむかって」と題するレポートに絡んで、戦前、近衛文麿元首相のブレーンたちが結集した昭和研究会の文化研究会の知的貢献について論じたことがある。
文化研究会委員長てして三木がまとめたのが、「協同主義の哲学的基礎」(1939年9月)だが、そこには、個人主義と協同体主義を止揚しようという立場、人倫的関係を重んじると同時に人格、個性、自発性、自主性を重んじる社会の建設を模索しようとする立場が明確に示されていた。
西洋近代をそのまま受け入れるのでもなく、東洋の伝統をそのまま復活させるのでもない。両者を統合して新しいものを作る。そうした視点が三木にはあった。
そのような三木の思想を支えていたのは、単なる自律した人間を超える人間観を導く、彼の自然史と人間史についての独特の考え方ではなかったか。
そうした独特の思想は、ロゴスとパトスの統合という彼の哲学によって裏付けられていた。彼は、カントが構想力(Einbildungskraft)に悟性と感性とを結合する機能を認めていたことに着想を得て、「構想力の論理」を執筆する中で、ロゴスとパトスの統合の理論を展開しようとした。
三木は、知的なものと感情的なものとが一つになった例として、未開人の神話を挙げている。さらに三木は、詩と夢にも構想力がはたらいているとした。
「構想力は、外的な、知的な表象・形像を関連づけて、内的な、感情的な心的世界に結びつける。あるいは逆に、後者を前者において対象化し、表現する。むしろ両者が未分化に、ひとつであるところで構想力は働いているのである」(『三木清―哲学的思索の軌跡』、256ページ)。そして、この内と外とを統一するのものを三木は「象徴」であるとした。
「構想力の論理」はさらなる発展の前に、三木の死によって中断した。彼の思想は、新しいアジア社会の建設の上でも、新しいアジア的「知」を形成する上でも、再度検討されるべき貴重な視点を含んでいるのではなかろうか。

坪内隆彦