佐藤清勝は、わが国の近古は天皇政治の時代ではなく、武門政治の時代であったと述べる。源頼朝が政権を掌握してから、徳川慶喜が政権を奉還するまで、第八十二代の後鳥羽天皇(在位:一一八三~一一九八年)から第百二十一代の孝明天皇(在位:一八四六~一八六七年)の時代であり、この間僅かに第九十六代の後醍醐天皇が親政を行ったのみである。
この時代について佐藤が特筆するのは、亀山上皇と孝明天皇の国家観である。弘安の役(一二八一年)の際の亀山上皇について、佐藤は「…親ら石清水の八幡宮に行啓あらせられて、外敵撃攘を祈り給ひ、更に手書を伊勢の大神宮に奉り、身を以て国難に代らんと祈らせ給ふたのである」と書いている(二百五十二頁)。
また、佐藤は孝明天皇には日本国家に対する熱烈なる信念があったと述べ、「当時多数の勤皇志士が国事に奔走しても、若しも孝明天皇の御在位なくば、明治維新の実現は猶ほ数十年の後であつたかも知れぬ」と主張する。
佐藤は、孝明天皇のご事績として、和気清麿の贈位と神武天皇山稜の修造を挙げ、さらに欧米列強の進出による危機に際してとられた行動について、次のように書いている。
「祖宗の諸神に祈願せられ、国家の安泰、臣民の安穏を祈らせ給ひ、遂に身を以て国に殉ぜんと宣ふに至つた、即ち、弘化四年四月には石清水八幡宮に臨時祭を行はせられ、外敵調伏を折らせ給ひ、嘉永六年八月にも亦同八幡宮に折願し給ひ、嘉永六年九月に於ける神嘗祭にも亦、外患調伏を祈り給ひ、又安政元年四月東照宮に外敵調伏を祈り給ひ、同年十一月賀茂神社の臨時祭に於て、外敵調伏を祈り給ひ、遂に安政五年六月伊勢大神宮に外敵調伏を祈り給ふた」(二百三十四頁)