尾藤正英は『新論・迪彝篇』(会沢安著、塚本勝義訳註、岩波文庫)の解説(昭和43年)で、次のように書いている。
〈この思想体系は、本来の性格として支配のための思想であり、「上から」の政治改革の思想であった。しかしそれが過激な現状変革の運動に挺進した青年志士たちの心をとらえ、あたかも革命のイデオロギーとして現実に機能したかのようにみえるところに、大きな問題がある。現在の学界において、本書の思想の性格に関し、対立する二様の見解が成立して、平行線を描いているのも、その微妙な性格のとらえ難さによるのであろう。しかしこれを「封建的支配秩序の合理づけとしての名分論」にすぎないとし、専ら保守的性格のものとみる見解(遠山茂樹氏「尊王攘夷思想とナショナリズム」『尊攘思想と絶対主義』所収)も、逆にこれを「抵抗権」の論理をふくむ下からの革命思想と評価する見解(上山春平氏『明治維新の分析視点』)も、いずれも一面に偏した理解であるように私には思われる。前者では、この政治論にふくまれた革新性が見落される結果となり、後者では、これが支配の思想であったことに注意が向けられていないからである。むしろ本質において支配の思想であったものが、革命運動の主たるイデオロギーとして機能したところに、私たちは明治維新という特異な政治革命の性格を考察するための手がかりを見出すことができる筈であり、本書の内容は、そのような問題を追求するための一つの素材を提供しているのではないかと考えてみたい〉
「日本の真価」カテゴリーアーカイブ
「日本精神叢書」─國體思想の精華
文部省教学局編纂「日本精神叢書」の一覧
著者 | 書名 | |
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1 | 河野省三 | 『歴代の詔勅』 |
2 | 植木直一郎 | 『古事記と建國の精神』 |
3 | 花山信勝 | 『聖徳太子と日本文化』 |
4 | 志田延義 | 『神樂・神歌』 |
5 | 藤岡繼平 | 『十訓抄と道徳思想』 続きを読む 「日本精神叢書」─國體思想の精華 |
竹中平蔵氏が会長を務めるパソナ株が急落─ドラッグの規制緩和は……
いま、竹中平蔵氏は、産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議で規制改革を推進し、國體を破壊しようとしている。2014年5月22日、週刊誌各紙がその竹中氏が会長を務めるパソナグループのことを報じた
「“シャブ愛人”栩内香澄美容疑者はパソナ人材派遣代表の接待秘書」「“舞妓愛人”も派遣……パソナ南部代表と芸能界汚染マップ」(『週刊文春』)
「覚醒剤漬けで快楽の虜! 人材派遣パソナ「南部代表」の超美人“秘書” 」「ドラッグ・カップルが出会った「パソナ迎賓館」の大宴会に「政治家&芸能人」」(『週刊新潮』)
同日の東京株式市場で、パソナグループは一時年初来安値となる460円をつけた。
『月刊日本』編集部 「わが国の医療制度を破壊する混合診療解禁」
以下、『月刊日本』平成26年6月号に掲載された「わが国の医療制度を破壊する混合診療解禁」を転載する。明治天皇が明治44年2月11日に下された「施療済生ノ勅語」に言及し、國體の観点からわが国医療制度の破壊に警鐘を鳴らした。
金持ちにしか受けられない医療が増えていく
住友商事相談役の岡素之氏が議長を務める規制改革会議が、保険診療と保険外診療(自費診療)の併用を認める混合診療を拡大しようと躍起になっている。安倍政権は、それを6月策定予定の「成長戦略」の目玉にしようとしている。
今回新たに提案されたのが、患者に選択権を与え、患者と医師が「合意」すれば個別に混合診療の適用を認める「選択療養制度(仮称)」だ。混合診療が広がれば、製薬会社は厳しい臨床試験が必要な保険診療の適用を避け、高額で売れる自由診療に向かうに違いない。その結果、金持ちにしか受けられない医療が増えていく。一度混合診療に組み込まれた最新の治療や薬は、保険診療の対象にならなくなるだろう。
新自由主義者たちの狙いは、本来公的医療保険で扱うべき医療の範囲を縮小し、その分を自由診療に移し変えることにあると指摘されている。また、混合診療を全面解禁してしまうと、有効性や安全性の確認できていない技術が広がる恐れがある。『愛媛新聞』(4月19日付)も次のように報じている。 続きを読む 『月刊日本』編集部 「わが国の医療制度を破壊する混合診療解禁」
『顔のない独裁者』が描く近未来─新自由主義の結末は地獄だ(『月刊日本』平成26年5月号)
以下、『月刊日本』平成26年5月号に掲載した「『顔のない独裁者』が描く近未来─新自由主義の結末は地獄だ」を転載する。
国民の統合を破壊する道州制
3月28日、政府は国家戦略特区諮問会議を開き、国家戦略特区の第一弾として、東京都を中心とした東京圏、大阪府を中心とした関西圏、沖縄県、新潟市、兵庫県養父市、福岡市の6区域を指定した。東京圏は国際ビジネス、イノベーションの拠点、関西圏は医療などのイノベーション、チャレンジ人材支援の拠点とするという。
この特区も、アメリカが推進するTPPも、グローバル企業の利益拡大こそが最優先されている。しかし、グローバル企業が理想とする社会は国民にとってはまさに地獄そのものである。新自由主義による「改革」を推し進めた後に到来する社会はどのようなものなのか、それを具体的に示してくれるのが、三橋貴明氏の企画・監修で、さかき漣氏が著した『顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い』(PHP研究所)が描く社会である。同書はフィクションだが、極めて具体的かつリアルにわが国の近未来が描き出されている。
物語は、「顔のある独裁者」が支配する大エイジア連邦の一員となった日本が、抵抗組織「ライジングサン」のリーダー駒ヶ根覚人のもとに革命に成功し、日本を奪還したところからスタートする。駒ヶ根は圧倒的な国民支持を受けて総理に就任する。まず、駒ケ根政権は太平洋連合(Pacific Union=PU)への参加を決める。PUはTPPのような協定と考えていい。そして同政権は道州制を導入。日本は北海道、奥羽州、東京州、越陸州、東海州、中央日本州、瀬戸州、伊予州、筑紫琉球州の9道州に分けられ、それぞれが独立採算制を義務づけられた。道州制導入によって、各種公共サービスの権限は、中央政府から各道州政府に移管された。
だが、この道州制導入が悲劇をもたらすことになる。それを象徴するのが本書にある「道州制が社会に浸透し、いつの間にか日本国民は他道州の住民について、同じ日本国民であることを忘れるようになっていた」という記述だ。
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興亜論と会沢正志斎『新論』─イサム・R・ハムザ氏の解釈
会沢正志斎の『新論』は、文明史的視点を伴なった興亜論(アジア主義思想)の先駆的著作としても位置づけることができる。現在カイロ大学教授を務めるイサム・R・ハムザ(Isam R.Hamza)氏は、「日本における『アジア主義』」(『史学』2006年6月)において次のように書いている。
〈西欧列強の圧力が徐々に強まってゆくにつれ、日本の対外的危機感は次第に広まり、様々な海防論や攘夷論が著わされた。その中でも、一九世紀前半の鎖国下日本でアジアを含む世界認識の有様をうかがわせる著作は、水戸学派の会沢正志斎(一七八二~一八六三年)の名著『新論』をおいて他にはないであろう。……西欧列強の圧力への反発として当然自国の優越性の認識にむかう動きが生じてきた。会沢もそれを背景にし、世界における日本の位置付けとアジアについて、『新論』でこのように述べている。
「夫れ神州は大地の首に位す、朝気なり、正気なり
〈神州は本、日神の開きたまひしところにして、漢人、東方を称して日域となし、西夷もまた神州及び清・天竺・韃靼の諸国を称して、亜細亜と曰ひ、また朝国と曰ふ。皆、自然の形体に因りてこれを称するなり〉。朝気・正気はこれ陽となす、 続きを読む 興亜論と会沢正志斎『新論』─イサム・R・ハムザ氏の解釈
会沢正志斎『新論』関連文献
著者 | タイトル | 雑誌名 | 巻・号 | ページ | 出版時期 |
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先崎 彰容 | 「日本」のナショナリズム : 会沢正志斎『新論』を読む | 新日本学 | 30 | 46-57 | 2013 |
桐原 健真 | 『新論』的世界観の構造とその思想史的背景 | 茨城県史研究 | 91 | 68-84 | 2007-02 |
桐原 健真 | 東方君子国の落日─『新論』 的世界観とその終焉 | 明治維新史研究 | 3 | 1-15 | 2006-12 |
イサム R.ハムザ | 日本における「アジア主義」 | 史学 | 75(1) | 128-139 | 2006-06 |
倉持 隆 | 『新論』2巻 会沢正志斎(安)著 安政4年刊 安政5年正月 松平慶永(春嶽)自筆書入本 | Medianet | 13 | 69 | 2006 |
子安 宣邦 | 国家と祭祀(3)祭祀的国家の理念─『新論』と危機の政治神学(2) | 現代思想 | 31(11) | 8-15 | 2003-09 |
子安 宣邦 | 国家と祭祀(2)「天祖」概念の再構築─『新論』と危機の政治神学(1) | 現代思想 | 31(10) | 26-34 | 2003-08 |
安蘇谷 正彦 | 会沢正志斎の国家思想(中)の下─わが国初の国防論『新論』の神髄 | 日本及日本人 | 1632 | 76-86 | 1998-10 |
安蘇谷 正彦 | 会沢正志斉の国家思想< 中>─わが国初の国家防衛論『新論』の思想と意義 | 日本及日本人 | 1631 | 50-60 | 1998-07 |
三谷 博 | 「新論」覚え書き─〈「忠孝」の多重平行4辺形〉を中心に | 歴史学研究報告 | 22 | 1-26 | 1994-03 |
栗原 茂幸 | 「新論」以前の会沢正志斎をめぐって | 日本歴史 | 506 | 84-88 | 1990-07 |
栗原 茂幸 | 「新論」以前の会沢正志斎─註解「諳夷問答」 | 東京都立大学法学会雑誌 | 30(1) | 181-231 | 1989-07 |
前田 勉 | 「新論」の尊王攘夷思想─その術策性をめぐって | 日本思想史研究 | 19 | 15-32 | 1987 |
長尾 久 | 会沢正志斎の「新論」-5- | 相模女子大学紀要 | 49 | 41-54 | 1985 |
長尾 久 | 会沢正志斎の「新論」-4- | 相模女子大学紀要 | 48 | 33-44 | 1984 |
長尾 久 | 会沢正志斎の「新論」-3- | 相模女子大学紀要 | 47 | 41-52 | 1983 |
長尾 久 | 会沢正志斎の「新論」-2- | 相模女子大学紀要 | 46 | 37-49 | 1982 |
長尾 久 | 会沢正志斎の「新論」-1- | 相模女子大学紀要 | 45 | 31-41 | 1981 |
前田 光夫、安田 耿雄 | 「新論」における国家観 | 茨城大学教育学部紀要 人文・社会科学 | 27 | 17-28 | 1978 |
『新論』の著者が知られるまで
『新論』を書き上げた会沢正志斎はその一部を丁寧に浄書し、文政九(一八二六)年、藤田幽谷の手を通して、藩主哀公(斎修)に献じました。これを見て驚いた哀公は、
「この書の内容には、見るべきものがあるが、時事を痛論して、論旨余りに激烈に過ぎるから、幕府の忌諱に触れる恐れが十分にある。したがって公刊は見合せるが宜しからう」
と注意したのでした。
そのため『新論』は、当初一部の人々の間に伝写されるにとどまっていたのです。
弘化年間(一八四四~一八四七年)になって、烈公が幽囚生活を余儀なくされ、正志斎もそれに連座する形で禁固されました。その間、正志斎の門人は、『新論』を無名氏箸として上木したのです。
こうして、『新論』は世の中の注目を集めることになりましたが、誰もがその著者が正志斎であるとは知らないままでした。
例えば、『新論』から深い感銘を受けた川路左衛門尉は、「これは、無名氏とあるが、水戸人の手になったものに違いない。これ程の論文を書く人物は、当今藤田東湖のほかにあるまい」と言ったそうです。
しかし、やがて『新論』が拡がるにつれて、それが正志斎の著書であることが理解され、彼の名は日本中に広まっていったのでした。
会沢正志斎『新論』の欧米観・西夷観
書評 保田與重郎『ふるさとなる大和』
本書は、保田與重郎の子供向け作品四点(神武天皇、日本武尊、聖徳太子、万葉集物語)を収録したものである。もともとは「子供向け」だが、今日にあっては大人を含めて広く日本人が知っておくべき内容を含んでいる。
「推薦の辞」で京都産業大学名誉教授のロマノ・ヴルピッタ氏が書いているように、保田の文芸批評家、政治評論家、教育者としての活動はすべて、日本文化を防衛し、維持し、そして次世代へ伝承していくという志から発生して、同じ目標に向かっていた。保田が目指した教育とは、いかなるものだったのか。
〈教育において知識はそれほど重要ではなく、主な目的は人間の形成であることを保田は主張した。これは東洋的教育の理念によるものである。東洋の教えとは、道義を尊び、人類の崇高な理念を確立することであり、そのために「克己」の精神を養うということは根本である。つまり、自己を抑え、欲望の世界を離れることだ〉(4頁)
日本文化の行方について、若い世代を頼みにしていた保田は、彼らを対象に本格的な教育活動を展開していた。保田の弟子たちが保田を会長に戴き、昭和三十二年に創立したのが、新学社である。同社から昭和三十八年四月に刊行された『規範国語読本』は保田が単独で編んだものである。 続きを読む 書評 保田與重郎『ふるさとなる大和』