本書は「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一(1840~1931、天保11~昭和6)の思想面に特化した評伝である。「資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一の生涯からは、功利的な観点から人物像を見る傾向が強い。しかし、著者は渋沢に水戸学という思想の水脈が流れていることに着目した。そこで、渋沢の業績に水戸学の思想を重ねて論じることを試みた。その全三章は、
第一章「水戸学國體思想を守り抜く」
第二章「『慶喜公伝』編纂を支えた情熱―義公尊皇思想の継承」
第三章「水戸学によって読み解く産業人・渋沢」
という構成になっている。
ここで、水戸学というものを理解しておかなければならない。水戸学とは、水戸藩主・水戸光圀が始めた『大日本史』編纂事業に源流がある。水戸光圀といえば、勧善懲悪のテレビドラマ「水戸黄門」の黄門様のことだが、別に義公とも呼ばれる。この水戸光圀が始めた日本國史編纂事業はやがて、幕末の漢詩人・頼山陽の『日本外史』となって広まり、日本という国が天皇家を一本の大きな柱として成り立つ國であることが認識された。ここから、天皇と臣民との関係性、為政者としてあるべき姿が如実に浮かび上がり、藤田幽谷、東湖父子、会沢正志斎によって学問としての体系化を見るに至った。その水戸学を基礎に、近代日本の社会を構築したのが渋沢栄一だった。幕末の志士・梅田雲浜が「靖献遺言で固めた男」と吉田松陰から評された事から、著者は渋沢を「水戸学で固めた男」との冠を付けた。
水戸学の根幹を為す『大日本史』は、南北朝並立では南朝を正統とした。(14ページ)更に、北朝方の足利尊氏を「國体の念を欠くこと甚だしい」と手厳しい。(24ページ)故に、南朝の史実にも本書は言及する。
著者は本書を通じ、渋沢が功利一辺倒の経済人ではないと主張する。それは、社会の底辺で蠢く貧民の救済法である「救護法」成立に渋沢が尽力したと述べる。(71ページ)この箇所を読み進みながら、血盟団事件で大蔵大臣井上準之助が銃弾に倒れたのは、この「救護法」成立に反対した事もあったのではと考えた。
また、障害児教育にも渋沢が関与していた事を取り上げるが、渡辺清の娘・筆子との縁が紹介されている。これには、驚いた。渡辺清が福岡県令(県知事)にある時、玄洋社生みの親と呼ばれる高場乱と物議を醸し、32ページに名前がある古松簡二の門弟・川島澄之助とも派手に争いを演じたからだ。
渋沢は中国革命の孫文とも縁がある事が83ページに述べられている。同時に、先述の高場乱の門弟である頭山満と渋沢とが深い人間関係で結びついていたことも驚きだった。
本書は118ページほどの冊子にも近いものだが、その行間から読み取れる情報は、広く深い。この一冊から、日本、アジア、世界の再構築の発想が生まれる事を願うばかり。更には、日本人が抱える使命とは何かに気づいて欲しい。
「日本とは、日本人とは何か・・・」『水戸学で固めた男・渋沢栄一』書評(浦辺登の読書館、令和3年11月23日)