高須芳次郎は『近世日本儒学史』(越後屋書房、昭和18年)において、会沢正志斎について次のように評している。
〈就中「新論」は……日本國體の尊厳を理論の上から詳しく説いた最初の書であつた。それと共に農本主義を叫んで、士民の経済的行詰りを打開し、忠孝一本主義を唱へて、国民の思想的立場を強力ならしめることにつとめた。その国防論の如きも、軍事科学の知識を本にして、詳しく陸海軍の新設備を論じ、頗る当時に適切だつた。
それ故天下の志士、国士を以て任ずる人々は争うて「新論」を読んだのである。真木和泉、平野次郎、安達清風らはいづれも「新論」から少からぬ感銘を得た。その他、薩長と土肥諸藩の人々のうちには「新論」愛読者が多かつたのである。かうして「新論」一篇は正志斎の名を全日本に伝へ、彼の風采を想望して水戸へくる有為の青年がなかなか多かつた。吉田松陰も亦正志斎を崇拝してその教へを受け「会沢先生は、人中の虎だ」と感嘆した。
(中略)
正志斉はまた文章に長じ、精力に富んで頭脳が明快であつたから、水戸学精神を世に普及するために年々著述を出した。中にも「下学遺言」「及門遺範」の二書は、水戸政教学の本旨をよく伝へ、後人を感奮せしめる力が強い〉
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水戸学の日中同盟論
高須芳次郎は『日本精神とその展開』(大東出版社)において、会沢正志斎と興亜思想の関係について、以下のように書いている。
〈…会沢正志斎は「アジヤ人のアジヤ」を主とすべく、日支同盟論を唱えたことがある。彼は西力東漸を防ぎ、またロシヤの南下を喰ひ留めるには善隣の誼ある支那と同盟し、こゝにアジヤの勢力を固めるのが肝要だとした。この点、正志斎の主張は、全く興亜を主眼としたもので、英国の印度侵略、支那蚕食を非とし、これに対しては、好感を表してをらない。……謹しんで惟ふに、明治元年に御発布になつた五箇条の御誓文は、興亜の大目的を実現せんとする御恩召に出たものと拝察する。そのうちで「広く会議を興し万機公論に決すべし」と宜ひ「知識を世界に求め大に皇基を振起すべしにと仰せられたのは、日本の実力を充実して、興亜の偉業を完成せられんとする重要事を御垂訓なされた御言葉であると思はれる。更に御宸翰において、尊い御決意のほどを仰せ出され、
「朕茲ニ百官諸侯ト広く相誓ヒ、列聖ノ御偉業ヲ継述シ、一身ノ艱難辛苦ヲ問ズ、親ラ四方ヲ経営シ、汝億兆ヲ安撫シ、遂ニハ万里ノ波濤ヲ開拓シ、国威ヲ四方ニ宣布シ、天下ヲ富岳ノ安キニ置ンコトヲ欲ス。」
と堂々、壮大・雄偉の御精神を表明せられたのである。かうした方針のもとに、皇国日本の皇威は四方に発揚せられ、いつも「東洋永遠の平和」維持に主点を置かれた。惟ふにそれは、アジヤ人のアジヤを完成して、共存共栄を計り、日本がその指導者として、新秩序、新文化を創造することを天職とすることに帰するのである。〉