黒龍会編『東亜先覚志士記伝 上巻』(黒龍会出版部、昭和8~10年)と同下巻(同、昭和11年)が近代デジタルライブラリーに収録された。
玄洋社・黒龍会を中心とする興亜論研究の基礎文献。下巻には列伝が収められている。
「西洋近代への抵抗」カテゴリーアーカイブ
TPP反対 マハティール元首相のメッセージ
2013年12月8日に開催された「これでいいのか?!TPP 12.8 大行動」で代読されたマハティール元首相のメッセージ
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人類文明創造へのアジア人の志─大東亜会議七十周年記念大会開催さる
以下、『月刊日本』2013年12月号に掲載された記事とその英訳を転載します。
人類文明創造へのアジア人の志
大東亜戦争下の昭和十八年十一月五日、六日の両日、東京で大東亜会議が開催された。東條英機総理、中華民国(南京)国民政府の汪兆銘行政院長、満州国の張景恵総理、フィリピンのホセ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ総理、タイのワンワイタヤーコーン親王、オブザーバーとして自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加し、列強の植民地支配を痛烈に批判した。
それから七十年目を迎えた平成二十五年十一月六日、憲政記念館で「大東亜会議七十周年記念大会」が開催された。頭山興助氏と加瀬英明氏が開催実行委員会共同代表を務め、チャンドラ・ボースの兄の孫のスルヤ・ボース氏、元ニューヨークタイムス東京支社長のヘンリー・ストークス氏らが記念講演を行った。 続きを読む 人類文明創造へのアジア人の志─大東亜会議七十周年記念大会開催さる
TPP交渉は空中分解
TPP交渉の閣僚会合が2013年12月7日にシンガポールで始まったが、交渉は空中分解の様相を呈しつつある。特許期間延長や国有企業問題で、合意は不可能だからだ。
国内製薬業界の意向を受けてアメリカは新薬の特許期間延長も目指しているが、新興国はジェネリックの開発・普及が遅れるとして、特許期間延長は認めない。
「国有企業問題」で、アメリカは民間企業との対等な扱いを要求しているが、これも新興国は認めない。特に、この分野でのマレーシアの譲歩はありえない。マハティール元首相が公然と反対しているからだ。
ここで注目されるのが、交渉開始2日前の12月5日、マレーシア与党が決定した方針だ。与党UMNO総会で、総裁ナジブ・ラザク(首相)は、ブミプトラ(マレー人および先住民族の総称)支援対策の重要性を強調、5つの行動計画の一つにも、ブミプトラ経済の強化が盛り込まれたのだ。TPP交渉でのマレーシアの譲歩はない。
わが国もマレーシアの交渉姿勢を見習うべきだ。
マハティール元首相「TPPは必要ない」
2013年12月4日、マハティール元首相は、クアラルンプール近郊でNHKのインタビューに応じ、TPP交渉を主導するアメリカの姿勢を「自分たちの価値観を押しつけようとする」と批判したうえで、「TPPは必要ない」と述べた。
NHKの報道によると、マハティール氏は、TPP交渉で議論されている、企業が進出先の国を国際的な仲裁機関に訴えることができる仕組みや、公共事業の受注を巡り国内企業と外国企業との競争条件を緩和するルールなどを例に挙げ、「貧しい国は豊かな国に対して交渉力がなく、不平等だ」と強い懸念を示した。
さらに、「アメリカの政策は中国に対抗するものだ。しかし、マレーシアは中国と多額の貿易を行い、良好な関係を築いている。私たちにTPPは必要ない」と述べた。
マハティール元首相「AP廃止はマレーシア国産自動車メーカーの終わり」
2013年11月28日、マレーシアのマハティール元首相は、自動車輸入許可証(Approved Permit=AP)に関して、制度廃止が国民車メーカー、プロトンとプロドゥアにとって終わりを意味するとの見解を示した。
「南北問題」封印の力学
以下の表は、国立国会図書館所蔵の書籍のうち、書名に「南北問題」を含む書籍である。
年代別に点数を見ると、1960年代9点、1970年代35点、1980年代29点、1990年代13点、2000年代8点となっている。1970年代、1980年代が圧倒的に多い。
南北問題が解決を見たわけではないのに、2000年代移行南北問題に関する書籍の刊行が激減しているのである。そこに、南北問題を封印しようとする見えない力学を感じる。
タイトル | 著者 | 出版社 | 出版年 |
低開発国貿易と援助問題 いわゆる南北問題の解明 | 外務省経済局 外務省経済協力局 国際連合局 編著 | 日本国際問題研究所 | 1964 |
南北問題入門 低開発国と日本 | 日本経済新聞社 | 1964 | |
国連貿易開発会議の研究 南北問題の新展開 | 外務省 編 | 世界経済研究協会 | 1965 続きを読む 「南北問題」封印の力学 |
大東亜共同宣言第五項と佐藤賢了
大亜細亜協会で活躍した中谷武世は、昭和50年に刊行した『戦時議会史』(民族と政治社)の中で、「『大東亜会議』とその意義」に一章を割き、同会議の経過と歴史的意義について言及している。
そこには、大東亜共同宣言の起草者の一人である佐藤賢了(陸軍省軍務局長)の次のような回想が引かれている。
「大東亜共同宣言について、私がとくに述べたいことは、綱領の最後の項にある人種的差別観の撤廃である。初め草案を作成中、幹事補佐の間には、この項を挿入することに反対意見が強かった。その主旨は、第一次世界大戦後のパリ講和会議に、日本が人種的差別観の撤廃を持ち出して入れられなかったし、またこんどの戦争をどうかすると人種戦と化し、争いを深刻化することを恐れたからである。しかし私は、第一次世界大戦当時からの日本の主張は堂々と高唱すべきで、現に日本が大東亜各地で実行しつつあり、それが民心をつかんでいる大きな理由であると思っていた。人種差別の撤廃は理想でなく現実だ。これを高揚しない理由はないと考えた。連絡会議で重光外相が喜んで同意し、ほかにも異存がなかったので挿入された。戦後の今日、大東亜各地に親日感が残っている理由の大いなる一つは、この人種差別観の撤廃であると思う。これは米・英人など西欧人には容易にできない相談であると思う。米国のリトルロックにおけるあの烈しく、執拗な人種差別の争いがその好例であろう」