「EAEC」カテゴリーアーカイブ

EAECを支持した古川栄一

 

元外務官僚の古川栄一は、『貿易と関税』、『世界週報』、『諸君!』等を舞台に、1990年にマハティール首相が提唱した東アジア経済会議(EAEC)構想を支持する言論活動を展開し、志半ばで斃れた。古川は、1953年外務省入省、在タイ大使館参事官を経て、国連アジア太平洋開発センター副所長を務め、1991年に日本国際戦略センターを設立した。
1997年12月に「ASEAN+日中韓」(ASEAN+3)首脳会議がクアラルンプールで開催された際の日本政府の混乱について、古川は次のように書いている。 続きを読む EAECを支持した古川栄一

東アジア経済グループ(EAEG)に関する国会議事

123回衆議院 予算委員会 – 6号
1992年2月21日
■井上(普)委員
(略)
そこでひとつお伺いするんですが、一昨年でございましたか、一昨年の九月にASEAN外相会議におきましてマハティール提案というのがマレーシアの総理から出されました。すなわち、ASEAN六カ国のみならず、香港、台湾、中国あるいは韓国、日本、ビルマまで入った十六カ国でひとつEAEGというものをつくろうじゃないかという提案がなされました。当然今までの動きからいたしまして日本は入ってもらいたいということは、これは望むのは当然であろうと私は思うんでございますが、これに対しましてアメリカから強い反対の声が上がったのも私は存じております。 続きを読む 東アジア経済グループ(EAEG)に関する国会議事

「八紘為宇の使命は、我が国の天職である 明日のアジア望見 第80回」『月刊マレーシア』506号、2009年11月30日

十二年前に起こったことが再び繰り返されようとしている。
当時、マレーシアをはじめとするASEAN諸国は、「ASEAN+3(日中韓)」の枠組みの会議開催に意欲を見せていたが、日本政府は、日本が参加の意志を見せなければ、この構想は実現しないと高をくくっていた。ところが、ASEAN側は、日本が不参加ならば、中国、韓国だけで「ASEAN+2」会談を開催するとの意志を固めたのである。マハティール首相のEAEC(東アジア経済会議)構想を支持する言論活動を続けてきた古川栄一は、次のように書き残している。
「日本はEAECに参加しないから、EAECは自然死すると豪語した。アセアン側は、そこで日本抜きで、しかも中国(および韓国)の参加のみでEAECの首脳会議を開催することにした。そうして日本の池田外相は、跳び上がるようにして驚いて、日本は首脳会議に参加した」(古川栄一「アジアの平和をどう築きあげるか」(歴史教育者協議会編『歴史教育・社会科教育年報〈平成十三年版〉二一世紀の課題と歴史教育』三省堂、平成十三年)二十四頁)。 続きを読む 「八紘為宇の使命は、我が国の天職である 明日のアジア望見 第80回」『月刊マレーシア』506号、2009年11月30日

EAECとアジア的価値観

金子芳樹教授の指摘

マハティール前首相が1990年に提唱した東アジア経済グループ(EAEG、後にEAEC)構想は、当面の狙いとしては、東アジア各国の関係を緊密にし、先進国との通商交渉を有利に進めることを挙げていたが、単に通商問題の次元に止まるものではなく、アジア的価値観の復興と連動しており、文明史的な側面を濃厚に持つものだったのではなかろうか。独協大学の金子芳樹教授は、マハティール前首相のアジア的価値観論について論じた上で、次のように指摘している。  続きを読む EAECとアジア的価値観