■アメリカを恐れる日本の指導者たち─田中角栄失脚のトラウマ
木村武雄が亡くなってから七年後の平成二(一九九〇)年十二月、マレーシアのマハティール首相は東アジア経済グループ(EAEG、その後東アジア経済協議体=EAEC)を提唱した。日本、中国、韓国とASEAN(東南アジア諸国連合)からなるグループを形成し、真に対等、相互尊重、相互利益の原則による共同体を東アジアに作ろうという構想だ。
しかし、アメリカはこのマハティール構想に過剰に反応した。ブッシュ(父)政権のベーカー国務長官は、「どんな形であれ、太平洋に線を引くことは、絶対に認められない。EAEC構想は太平洋を二分し、日米両国を分断するものだ」とEAEGを批判した。
日本はアメリカの強烈な圧力によって、EAECに背を向けてしまったのである。平成三(一九九一)年十一月に開かれた渡辺美智雄外相主催のベーカー国務長官歓迎夕食会で、「アメリカが入らない組織には、日本も入らない」と事実上のEAEC不参加の密約を交わさせられたとも報じられている(『毎日新聞』平成三年十一月二十九日付朝刊)。
日中国交正常化がアメリカの逆鱗に触れて以来、日本の指導者たちは、主体的な外交を展開してアメリカを怒らせることを異常に恐れるようになった。田中角栄失脚のトラウマは今なお克服されていないのではないか。
ただ、多くの政治家、官僚、言論人がアメリカを恐れ、アメリカに阿り、EAEG参加に消極的姿勢を示す中で、堂々とEAEG参加支持を表明した人物もいる。福田政権時代に外務省アジア局長を務めた中江要介、外務官僚の古川栄一、元朝日新聞記者の林理介らである。中江は次のように述べていた。
「マハティール首相構想の場合にもまた、日本は先に米国の顔色を窺っているのである。米国がノーといえば、一緒になって何かとあら探しをする。米国がアジアの経済圏構想に反対するのは、米国の覇権主義が邪魔されるからであろう。そのしり馬に乗って構想をつぶすのに加担したとすると、それは日本の政治的役割を放棄したことになる。アジアと反対の方向に向いている日本には、アジアでの政治的役割はない」(中江要介『中国の行方』)
■肇国の理想を失った国家は「生ける屍」だ
ただ、日本人がマハティール構想に背を向けたのは、アメリカの圧力だけが理由だとは言い切れない。日本人に王道アジア主義の理想を取り戻す気持ちがあるならば、王道アジア主義に通ずるEAEG構想がマハティール首相から提案されたことを歓迎し、支持したはずである。
むしろ、多くの日本人は、かつて日本人が王道アジア主義を唱えて国際秩序の変革を目指した歴史さえ忘れてしまっているのではないか。だから、マハティール構想にまともに反応できなかったのかもしれない。
大東亜戦争における敗北、占領を経て、日本人は主体的に国際秩序を構築することを放棄してしまったのである。いまや「日本外交は大陸に深入りすれば失敗する」という考え方が、あたかも正しい「理論」のように語られているのが現状だ。
こうした現状を、アジアの解放、アジアにおける道義的秩序の確立のために命を捧げた先人たちは、どう思うだろうか。
いま筆者は、改めて西郷南洲、宮島誠一郎、宮島大八、南部次郎、荒尾精、根津一、頭山満、葦津耕次郎、権藤成卿、笠木良明、石射猪太郎、中山優といった王道アジア主義者たちの固い信念を噛みしめている。そして、アジアに志を抱き、苦難の人生を歩んだ無数の日本人の思いを想像している。こうした先人たちを、リアリズムの分からない愚か者として切り捨てられるのか。
いまこそ、日本人は王道アジア主義の理想を取り戻し、先人たちの魂を継ぐ時なのではないか。王道アジア主義の立脚点は肇国の理想、八紘一宇(八紘為宇)である。肇国の理想を失った国家は、もはや「生ける屍」である。
狭い意味での国家安全保障、物理的な国家の生存を最優先で考えれば、外交政策は与えられた条件、自国を取り巻く国際環境の中で、リアリズムに徹して構築されるべきだという結論が導き出される。冷戦終結後もなお日本人が日米同盟以外の選択肢を提示し得ないのは、自らの防衛を自らの手に取り戻すという気概を失ったからだけではなくて、このリアリズムが外交当局や知識人に定着しているからである。いわば、「物理的生存至上主義」である。
しかし、人間と同様、国家もまた、物理的に存続すればそれで十分というわけにはいかないのではないか。人間に魂があり、誕生の意味、生きる意味があるのと同じように、国家にも魂があり、肇国の意味がある、と筆者は信ずる。どのような形で生存し、どのような役割を担って生存するか。それこそが重要なのではないか。だから筆者は、外交政策も肇国の理想の体現であるべきだと信じている。
■今も生きている黄禍論
実は、ベーカー国務長官は先に挙げた歓迎夕食会で、EAEGを徹底的に批判しながら、マハティール首相の民族服までヤリ玉にあげていた。その場にいた中曽根、竹下、宇野の各元首相ら日本側出席者は、批判の過激さに息をのんだという(『毎日新聞』平成三年十一月二十九日付朝刊)。
ここで即座に想起されるのが、田中角栄を口汚く罵ったキッシンジャーの「裏切り者の連中の中で、ジャップたちが上前をはねやがった」という言葉だ。アメリカ在住の政治アナリスト伊藤貫氏は、「キッシンジャーは、日本人に対して鋭い敵意と嫌悪感を抱いている」と書いている(『中国の「核」が世界を制す』)。
欧米の指導者の中には、「アジア人が国際秩序を構想するなど生意気だ」というメンタリティが残っているのではないか。
遡れば明治二十八(一八九五)年四月二十三日、フランス、ドイツ、ロシアの三国は、日清戦争の日本の勝利とそれに伴う下関条約によって日本に割譲された遼東半島を清国に返還しろと要求してきた。実は、この三国干渉も黄禍論と連動していたのである。三国干渉の三日後、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世はロシア皇帝二コライ二世に宛てた手紙で、「アジア大陸を開拓し、巨大な黄色人種の攻撃からヨーロッパを守ることが、ロシアの将来の偉大な任務であることは明らかである」と述べている。同年秋、ヴィルヘルム二世は、自らが原画を描き、宮廷画家ヘルマン・クナックフースが仕上げた寓意画「ヨーロッパの諸国民よ、汝らの最も神聖な宝を守れ!」をロシア帝国の皇帝ニコライ二世に贈呈している。
この寓意画は、ヴィルヘルム二世自身による解釈では、絵の左上の十字架の下で、鎧で身を覆っている女性たちは一人一人が当時のヨーロッパ諸国を象徴している。その先頭で手に剣を携えているのは、大天使ミカエルで、その左手が指している対岸が東洋である。そこでは、火炎が起こっていて、炎の上には龍が、その背中に仏陀を背負って、西洋の都市にせまっている(飯倉章「世紀の終り『黄禍』の誕生」『国際文化研究所紀要』平成九年七月)。
翻って現在の米中対立の背景にも、黄禍論が横たわっているように見える。「西洋文明に対する新たな挑戦者として中国が現れた」と欧米の指導者たちは認識しているのではあるまいか。実際、令和元(二〇一九)年四月、米国務省政策立案局局長のキロン・スキナー女史は、安全保障関連のフォーラムで以下のように語ったのだ。
「東西冷戦は西洋諸国(Western Family)の間での戦いだったが、中国は西側の思想、歴史から産まれたものではない。米国は白人以外と初めての大きな対立を経験しようとしている」
欧米の指導者たちが最も恐れているのは、日本と中国が手を握り、アジアが団結することである。それを避けるために、欧米の指導者たちは、日本と中国を戦わせて互いに消耗させ、漁夫の利を得ようとしているのかもしれない。(坪内隆彦『木村武雄の日中国交正常化─王道アジア主義者・石原莞爾の魂』より)