『水戸学で固めた男・渋沢栄一』目次


坪内隆彦『水戸学で固めた男・渋沢栄一─大御心を拝して』(望楠書房、令和3年9月

渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれている。しかし、そうしたとらえ方では彼の本質は見えてこない。渋沢を「水戸学で固めた男」ととらえることによって、大御心を拝し、聖恩に報いようとして生きた彼の真価が浮き彫りになる。それによって、戦後否定的にとらえられてきた水戸学の真髄も理解されるのではないか。

第一章 水戸学國體思想を守り抜く
 第一節 渋沢は終生水戸学を信奉していた
  碑文に刻まれた「藍香翁、水藩尊攘の説を喜ぶ」
  『論語講義』に示された水戸学國體思想
  國體の内実=蒼生安寧(国民生活の安定)
  藤田東湖の三度の決死
  東湖の魂を語り継いだ渋沢
  わが国史の法則─政権を壟断する者は必ず倒れる
  福沢諭吉 vs. 渋沢栄一─楠公をめぐる新旧一万円札の対決
  「真の攘夷家」と呼ばれた若き日の渋沢
  「深谷の吉田松陰」・桃井可堂
  渋沢の覚悟─斃れた先人の魂を継ぐ
  「教育勅語の聖旨を奉体し、至誠もって君国に報ゆべし」
 「志士仁人は身を殺して仁を成す」
 第二節 『慶喜公伝』編纂を支えた情熱─義公尊皇思想の継承
  四半世紀を費やした大プロジェクト
  知られざる水戸と尾張の連携
  義公遺訓継承のドラマ─「我が主君たる天皇には絶対随順の至誠を尽すべし」
  「自分はただ昔からの家の教えを守ったに過ぎません」
  沈黙を続けた慶喜
  義公や烈公の遺墨・遺品をご覧になった明治天皇
  明治天皇に三十年五カ月ぶりに謁見した慶喜
  大正天皇の勅語─「恭順綏撫以テ王政ノ復古ニ資ス 其ノ志洵ニ嘉スへシ」
  義公遺訓なき慶喜論の空疎
  慶喜の家臣としての誇りを抱きしめて
  渋沢は陽明学を信奉していたのか
第二章 大御心を拝して
 第一節 救護法(生活保護法)実施に命をかける
  人民の苦楽を直ちに御自身の苦楽となす大御心
  戊申詔書と済生勅語
  養育院長として三回にわたり皇后陛下に拝謁
  「救護法のために斃れるのは本望です」
  生活保護法廃止を唱える新自由主義者たち
  先帝陛下最後の訪問先・滝乃川学園
 第二節 愛国団体と渋沢
  渋沢が愛国団体に関与した理由
  渋沢と「右翼の巨頭」・頭山満
  蓮沼門三の修養団を全面支援した渋沢
  水戸学と蓮沼門三の國體思想と水戸学
第三章 水戸学によって読み解く産業人・渋沢
 第一節 水戸学の愛民思想と渋沢
  新自由主義者・田口卯吉との対決
  養育院を存続させた渋沢の建議
  経済的自由よりも国家を優先
  私利を優先する実業家を厳しく批判した渋沢
  領民を救った水戸藩の政策を実践した渋沢
  義公による愛民の政治
  幽谷と正志斎の愛民思想
  渋沢の心に刻み込まれた水戸藩の愛民政治
 第二節 「功利なき道義」と「道義なき功利」を共に排す
  富国論を唱え、功利を肯定した水戸学
  貨殖富裕を賎視した朱子学に対する渋沢の批判
あとがき

坪内隆彦