報道の自由だけで十分か
1997年のアジア通貨危機後、再び「21世紀の国際情報秩序」に関する議論が活発になった。それは、「報道の自由」だけで21世紀の情報秩序は十分なのか、という古くて新しい論点を提起している。
この議論は、1970年代にも大きな盛り上りを見せたが、過度の政治化に向い、やがて鎮静化してしまった。ところが、アジア通貨危機に際して、CNN、ロイターといった欧米巨大メディアの報道がアジア各国に与えた影響の大きさから、それら報道機関の在り方が再び問題となり、議論が活発になったわけである。
国際情報秩序論争とは、「報道の自由」を重視する者と「報道の統制」を主張する者との争いとしてとらえがちだが、それは大きな間違いである。「報道の自由」のみを重視する者と、「報道の自由と責任の両立」と「情報発信力の南北格差の是正」を目指す者との論争なのである。
非同盟諸国のメディアの役割に関する国際会議
欧米の巨大メディアの偏向報道に対抗して、アジア、アフリカの途上国を中心とする非同盟諸国が、メディア協議会(NAC=Non-aligned Countries Media Council )の設立に向けて、再び動きはじめた。
2000年9月20日から22日にかけて、マレーシアのセランゴール州で、非同盟諸国のメディアの役割に関する国際会議(International Convention on the Role of Media in Non-Aligned Countries)が開催されたのだ。
ここで基調講演をつとめたマハティール首相は、通貨危機に対するマレーシア政府の対応に関する欧米メディアの偏向を具体例としてあげ、メディアの責任について語った。首相は、欧米のメディアは自分たちが有色人種よりも優れていると仮定するのをやめ、謙虚になるべきだと述べて講演を締めくくっている。
この会議では、7つの決議案が採択されたが、そこには非同盟諸国メディア協議会設立が含まれている。協議会の本部はマレーシアに置かれることが決定されており、ジャーナリスト研修センターの設置、セミナーの開催、インターネット上のニュース・ネットワークを構築し、欧米によるサイバー空間の支配を防ぐといった役割を果たすことが期待されている。この決議こそ、欧米メディアの偏向に対抗しようとする非同盟諸国の切迫した対応なのである。
世界中の報道関係者約400人が集結したこの会議は、非同盟諸国学生青年会議(NASYO=Non-Aligned Students and Youth Organization)東アジア地域支部、マレー・ジャーナリスト協会とセランゴール州政府が主催し、マレーシア政府情報省などが協賛したことに示されるように、マレーシア政府、国民のイニシアティブで開催されたものである。また、マラヤ大学のメディア研究学科、マレーシア国際イスラーム大学のコミュニケーション学科も会議開催に協力していた。
この重要な会議について日本の報道機関は黙殺したが、NASYO理事としてこの会議に参加した一水会の木村三浩代表は、レポートを発表している(木村三浩「欧米メディアの情報操作と演出は許さない」『月刊日本』2000年11月号、80~85ページ)。
新国際情報秩序
国際情報秩序の問題は、かつて国連教育科学文化機関(ユネスコ)を舞台として活発な議論が展開されたことがある。
非同盟諸国は、「新国際情報秩序」(NWICO=New World Information and Communication Order)確立をスローガンとして、先進国支配の国際情報秩序を攻撃するとともに、先進国と途上国の情報発信力の均衡を目指した。これに対して欧米先進国側はあくまで情報の自由流通を重視した。1978年11月にユネスコ第20回総会で採択された「マスメディア宣言」(正式には「平和と国際理解の強化、人権の促進、ならびに人種差別主義、アパルトヘイト、および戦争の扇動に対抗する上でのマスメディアの貢献に関する基本原則の宣言」)は、まさに両者の妥協の上に成り立っていた。
途上国が目指したものは、欧米巨大メディアの報道姿勢が責任あるものに是正されることと、途上国の情報発信力が強化されることではなかったろうか。それは決して報道の自由を重視するだけでは解決できない問題だったのである。
ところが残念なことに、米ソ冷戦を反映して、ソ連が政治的意図から途上国側の主張を支持したことから、この論議に東西対立が持ち込まれたことであった。1980年の総会で決議された「新世界情報通信秩序」には、記者の免許制、国家による検閲の容認などソ連陣営が狙った報道統制の条項も盛り込まれていた。
また当時、途上国の立場が反イスラエル的なものに傾斜していたことも、アメリカの立場に影響を与えた。さらに、当時のムボウ事務局長(セネガル)の運営は予算の際限ない肥大化をもたらしていた。
結局、アメリカ政府は1983年12月末、ユネスコからの脱退を通告、1年後の1984年12月末に脱退が正式に発効した。アメリカに続いてイギリス、シンガポールもユネスコから脱退してしまう。
こうして、ユネスコの国際情報秩序論議は過度に政治化してしまったのである。
だが、新国際情報秩序には、必要とされる措置について具体的に述べた条項も盛り込まれていた。全アフリカ通信社、アラブ記者訓練センター、アジア情報交換制度、中南米情報総合配信制度など、途上国の情報発信力強化のための措置である。これらの必要な措置までが、政治的対立によってたち消えてしまったことは、まことに残念というしかない。
「非同盟諸国のメディアの役割に関する国際会議」の決議は、まさに問題点の解決を急ぐ非同盟諸国国民の状況を示している。
国際機構の場でこの問題を議論することが、かえって非同盟諸国の敵対的態度を防ぐことになるのではなかろうか。
毎日新聞の橋本晃記者は、「NWICO論争当時からこれまで、一体何が変わり、何が変わっていないのか」と問うて、次のように書いている。
「まず、変わらないのは途上国が当時、非難したニュースの流れをとりまく世界の状況だ。当時も今も、世界4大通信社(現在、3大通信社)が一報ニュースの75%など、世界のニュースの流れを寡占支配している現実に変化はない。むしろ南北間の貧富の差の拡大、通信技術の飛躍的発展で状況はより悪くなっている」、「途上国報道はネガティブなものが多いという指摘も、おそらくそう外れてはいない」、「松浦氏に期待されるのは、側近政治の解消や米国の復帰実現だけではない。NWICO論争で出された問いかけを真しに再検討し、文化、教育、科学、コミュニケーション分野での協力・発展を図るユネスコの未来像を再構築していく作業が急務だ」(『毎日新聞』1999年11月21日付朝刊)。