『月刊日本』(12月号)掲載の「いま北一輝から何を学ぶか 下」(古賀暹氏との対談)が最後となってしまうとは……。
この対談は9月下旬にやっていただいた。そのとき、げっそり痩せられていたので、体調についてお伺いしたところ、「潰瘍を切ったばかりでまだ調子が悪い。外では食事ができない」と仰っていた。それでも、古賀氏と約3時間にわたって気迫に満ちた対談を展開していただいた。
『月刊日本』では10月号から新連載「天下に求めて足らざれば、古人に求めよ」もスタートしていただいた。ところが10月末に、「まだ体力が回復していないので12月号(11月10日締め切り)は休ませていただきたい」とのご連絡を頂戴していた。亡くなる一週間前に「体調はいかがでしょうか」と手紙を書かせていただいた。お返事がないので、お電話しようと思った矢先に訃報が飛び込んできた。ショックだった。
もう30年ほど前、自分が学生の頃から、松本先生の『若き北一輝』『出口王仁三郎』『大川周明』などを読んで、アジア主義や近代史に目を開かせていただいた。心よりご冥福をお祈りします。
他民族のナショナリズムを尊重した北一輝について語った、松本先生最後の言葉を引いておく。
〈松本 北は対華二十一カ条要求を出して以降の日本政府の姿勢を「遺憾極まりなし」と批判しています。中国側としては五・四運動を起こしたり、反日運動、日貨ボイコット運動を起こしたり、中国ナショナリズムを爆発させます。ここに両国のナショナリズムが激突するわけですが、このとき北は「太陽に向って矢を番う者は、日本其者と雖も天の許さざるところなり」と書くのです。竹内好さんは、日中関係を考えるとき返るべき地点は、マルクス主義の問題でも儒教を捨てるか否かの問題でもなく、この北の思想ではないかと指摘したのです。
他民族のナショナリズムを尊重する北の姿勢は、朝鮮民族に対する態度にも示されています。明治43年に日韓併合が行われましたが、朝鮮の無政府主義者の朴烈、あるいは石原莞爾のところにきた曺寧柱も含めて、当時の朝鮮民族の人々は、あらゆる社会思想、左翼思想においても、日本の思想は進んでいるが、朝鮮の思想は遅れているから併合されたのだと主張しましたが、北一輝は一度併合されたからには、参政権も含めて、朝鮮人にも日本人と対等の権利を与えるべきだと主張しました。この考え方は、北一輝の国家改造法案と石原莞爾の東亜連盟の維新論にしかありません。戦前の日本ナショナリズムがおかしな方向に進んでいったとき、北一輝は明確におかしいと批判したのです〉