戦前の興亜思想台頭期には、「トゥラン主義」が盛んに提唱されていたが、戦後は封印されてしまった。コトバンクは「トゥラン主義」を次のように定義している。
「トルコ・ナショナリズムの一潮流。トゥランとは、ユーラシア大陸に広がるトルコ系諸民族の総称であり、トゥラン主義は、それら諸民族の一体性を追求しようとする立場である。そこでは、一体たるべきものの中に、マジャール、フィン、モンゴル、ツングース等、広義のウラル・アルタイ系諸言語を話す人々をも含めようとする場合もあり、トゥラン概念は大きな振幅をもっている。ツァーリズム支配を脱する目的で、19世紀後半、ロシア治下のトルコ系住民の間に生まれたトゥラン主義は、〈青年トルコ〉革命後、オスマン帝国内にもちこまれた」
昭和17年に今岡十一郎が著した『ツラン民族圏』は、結論部分で次のように指摘している。 「……元来、ヨーロッパはアジアの一半島に過ぎない。民族的にも、精神的にも、フジヤマからカールパート山脈までの間、すなはち、ユーラシアを貫く『ツランは一体である』のである。このユーラシア大陸の黒土帯をつらぬく一つの血、一つの大陸における枢軸国家群の中枢こそ、ツラン民族の郷土であり、内陸アジアであり、乾燥アジアであり、中央アジアであり、トルキスタンであるのである。…わが同胞の祖先、ツラン民族の偉大なる人物、アッチラ、ヂンギス・カン、チムール等は、嘗って、馬と陸とにより、このユーラシアの大道を東西に走り、欧亜に跨る大帝国を建設したのであるが、白人、ことに北欧のノルマン民族──その血をひくアングロ・サクソン民族は、船と海とにより世界を殆んど征服し尽したのである。来るべき我々の時代には、英雄的なわがツラン民族は、陸と空とにより、飛行機と自動車とラジオとにより、再びツランの故地、祖先の文化大道を通じて、東西文明の交流を図らなければならない。それによつて日独伊同盟をますます緊密にし、もつて枢軸国家群の有機体化を齎らすことが出来るばかりでなく、人類文化を驚異的に飛躍せしむることが出来るのである。しかしそれには先づ、前提として、枢軸国家群とソ聯邦とはともに、前記の如く地理的・民族的に運命共同体関係にあることを認識し、日独伊ソ間に従来より、更に一層の理解と緊密化が期待されねばならないことは当然のことである。…皇道は皇国日本の指導原理にして、先天の血統・自然の秩序により、血統団体中の最優位たる嫡統本宗をもつて絶対神聖の統制者とするものである。皇道はその基本において自然の社会秩序たる家族制度と関係をもつてゐる。従って、皇道は道義的自然法にしたがふ社会統制の大原則である。ゆゑに後天的にして人為、力の強大を恃んで弱者を威圧し、苛酷なる権力と法律を定めてもつて統制の方便とする覇道主義とはまさに相対立する。また現下わが国策の基本たる防共と新秩序理念を、ヨーロツパ的自由平等主義思想に基く東亜聯盟理念に依拠せしむるよりは、むしろ家族主義道徳の上に東亜諸民族の共栄圏を建設し、ツラン・アジア的大家族体を作り、以つてツラン・アジアの道義的文化圏を建設することこそ、皇国日本の聖なる使命ではなからうか」