「……君平は、経済的には全く恵まれることなく、しかも功業を当世にほどこすこともできなかった。けれども、その至大・至剛で屈せずたゆまぬ志気は、これを文章の上に遺して、卓然として無窮であるから、昔の聖賢と同列であるべきである。この人にして、その墓表のあることは、まことに故あることである。…私が聞くところでは、君蔵(君平)は最期に臨んで、なお天地の正気を称し、三宝の説を述べたという。すなわち、たとえ瞑没するとも、精神は天地の間にとどまって、その正気を意中の人に授けるであろうと。ここにおいて、古人が謂う『死して亡びない者』とは、君蔵のことをいうのであろうか。ああ、もはやこのような人傑とは、幽明境を距ててしまった。この私は、誰と語り、誰に従ったらいいのだろうか」(元は漢文、安藤英男訳)